クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

【東日本大震災・米テロ】2001年9月11日と2011年3月11日のテレビ東京

東京での話

2001年9月11日

中井貴一とフェイオンのドラマ「ウソコイ」を観ていたら突然速報が入り、貿易センタービルが崩れ去ったとかいうニュースに切り替わった。

当時、そんなことには全く興味がない俺は、事の重大さについて認識していなかった。

 

後から思えば、とんでもない事件だ。貿易センタービルに飛行機で突っ込んで倒壊させたり、ペンタゴン(米国防総省)にとっこんだり。

 

テレビ東京だけは、フットワークが重かった気がする。(そして通常放送への復帰もはやい)

 

2011年3月11日

当時俺は昼夜逆転生活を送っていた。

あの大地震が起きたのは午後2時46分である。その時の俺は普通に午後3時に起きるということも珍しくなかったため、下手したら上に積んでいた荷物の下敷きになっていたかもしれない。俺が寝ている自分の部屋の地震の後のありさまといったら、恐怖するレベルのものだ。なぜなら上においてあった荷物の大量に床に散乱して足の踏み場もない状態になっていたからだ。つまり、上から落ちてきたものに当たってダメージを受けたり、生き埋めになっていた可能性もあったということだ。

 

運良くたまたまその時間には起きて、テレビを観ていた。

そして、地震の初期微動が始まる。最初は何の気なしに、あ、地震だ。どうせすぐおさまるだろうと高をくくっていた。しかし、揺れが段々大きくなってくる。さすがにあれ、いつもと違う、これやばいんじゃねーのもしかして、と思う。しかし、まだ、流石に収まるよな。いや収まってください。と念じていた。

 

それでも止まらない。揺れは最高潮に達し、まるで船の上で揺れているかのような今まで生きてきた中で感じたことのない次元の違う揺れ方をしていた。

もうその時になると、ああ、マジ死ぬかもしれない。まじでヤバイ、ここで死ぬのかな俺、神様助けて、地震よ止まってください。頼むから!頼むぅぅぅ!!お願いします!お願いします。なんでもしますから!ずっと心のなかでこの災厄の沈静化を念じていた。

 

何も大げさなことは言っていない。本当に心の底から死ぬかもしれないと思っていた。

 

地震が起きた後も、NHK民法各局は特別編成で実に3週間以上地震関連をやっていた気がする。(体感的にはそのくらい)。実際には1週間、2週間くらいだったかもしれない。よく覚えていない。

ただ、3月いっぱいCMは全部えーしぃーだった気がする。

 

もう本当に異常事態で、大騒ぎだった。

その後も度々でかい地震がもう100回以上余裕でくるわで、なんか常に揺れている気がしていた。大変不謹慎だが事態が収束したら、代わり映えのせい生活に今度は物足りなさを感じだしていた。

 

テレビ東京はこのときも主要な民放各局のうち最も早く復帰し、テガミバチ(アニメ)を放送していた。