健康寿命というものがある。
痛みを感じつつも日常生活に支障はなく、普通に行きていける。そんな認識である。
そんな生活も、突発的な事故などで、失われることがある。
病気を患って、寝たきりになったり、人工透析だったり。車椅子生活だったり。
もうこんな日々不自由で辛くて、1人じゃ何も出来ない。
一体何のために生きているのだろう。
それならいっそのこと心臓を止めてくれとすら思うかもしれない。俺の場合。
家族や恋人がいるから生きていけるんだろうなと思う。
孤独死待ったなしの俺からしたら、自殺しているだろうし。
街を歩いていると、どいつもコイツも幸せそうに見える。特に土日。毎日楽しいことばかりなんだろうなぁと勝手に解釈する。少なくとも外野が見てる限りはそう思う。そして、妬みが入ると同時に、底知れない劣等感が自分を襲う。その劣等感の強さは連れている女の容姿のレベルに比例する。
そうこうしているうちに俺は老人になり、結局何も得られないことを悟ってしまうのだろう。今のままだと預言者のごとく自分の未来を言い当てることができる。
占い師なんてくそくらえだ。自分のことは自分がよくわかっている。そしてまちがいなく今のまま俺自信が変わらないとその予言は的中する。健康寿命を賭けてもいい。