この前「なぜババアは緑や紫のヘアカラーにするのか」みたいなタイトルで記事を投稿した。
しかし、タイトルを変更して内容も少し変えた。
どう変えたかというと、文中のババアとジジイを老婆と老爺に変えたり、表現をマイルドにした。
なぜこんなことをしたかというと、自分で見ていて不快に感じたからだ。
だから、変更後のタイトルは「不快な文章」とした。
不快な上につまらない。
いままでも文中で喫煙者のジジイだのババアフォーメーションなどを度々使っていたが、あの記事ではジジイ、ババアの単語が頻繁に出てきて、これはひどいと自分で思った。
しかし、老婆、老爺にしたところで内容はあまり変わっていないんだなこれが。
修正してみたものの、それでもつまらない。
文章にも、
もともと出来のいい子、
更生の余地がある出来の悪い子、
生まれ持っての悪童
等がいるんだろうか。
ヘアカラー記事は生まれもっての悪童で、どう頑張って修正しても結局つまらない結果にしかならない。
そんな文章もあるのかもしれない。
ヘアカラーにしてもネタがなく、ただそういう人たまに見かけるね、みたいなだけだ。
なぜそんな頭にするのかなんて、そんなことは本人に聞くしかわからない。
そして、そんなことを直接本人に尋ねることは永遠にない。
自分でいろいろと文章を書いていて思うのは、ネタにつまってダラダラ書くとつまんなくなるという傾向だ。
詰まって内容をうまく広げられなかったり、滑らかに内容を遷移できなかったりした記事の出来はウンコ以下の糞詰まり。
逆に、好き勝手にバンバン次に書くことが浮んでくる記事の出来はいい傾向にある気がする。
つまる・つまらない別にして書いていて楽しいし、文章に勢いが生まれる。
その勢い任せで書いた文章は思ってもみない予想外の出来になったりする。
継続して書いていて思うのは、毎回何が起こるかわからないということだ。
ネタ帳にメモしたものを、まずタイトルバー打ち込んで、タイトルにちなんだ内容で書き進めていても、いつの間にかぜんぜん違う方向に進んでいくことが珍しくない。
というかそっちのほうが多い。
そして出来上がった文章は当初書こうとしていたことが全然書かれてなくて脱線した話で盛り上がっている。
そんなもんだから、タイトルを変更する。
こんなことの繰り返しだ。
けど、そういう時は書いてて面白い。
書いているうちに、どこに転ぶかわからない先の見えないストーリーを、自分がまさに今「見ている」気がしてどんどん先が知りたくなる。
こういう感情が頭の片隅でうごめいている。
脳内でアドレナリンが放出されている感じがして、そんなときは時間があっという間に経っていてびっくりすることがある。
暇なわけではない。
アフィやアドセンスも進めていかないといけないが、全然やってない。
でも全然方向性が見えてこないし、もうすでにやる気なし。
今の俺は、はてなブログ執筆中毒に罹患しているのかもしれない。