クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

「いざとなれば思考」でセクシー女に対する煩悩を断ち切る

銀座中央通り・・・

世界的なあらゆる誰もが聞いたことがある高級有名ブランドがジャンルを問わずひしめき合うセレブリティーな建物が所狭しと並ぶ、銀座の象徴とも言うべき大通り。

 

俺はそこを大体毎日通る。なぜなら道が広くて快適だからだ。

今日は日曜日でいつもより人がいた。

 

横断歩道をうつむき加減で渡っているとやたら肉感的な女を目の端に捉えた。

直視はしていないものの、周辺視野が女の外的情報を把捉した。胸がでかく体のラインを強調して男を挑発するような服装でメイクもセクシー系であり、彼女のコーディネイトコンセプトがはっきりわかる。

 

しかしその時俺はその女をみても、胸がでかいな。顔は女豹系の女だなとしか思わなかった。どこか冷静な目で姿かたちを認識していた。

なぜなら寝不足で副交感神経優位な状態だったから。

その為ある意味リラックスしており、興奮とは対極をなす精神状態だったので、最初はドキりとしたが、10分以内にその女の記憶は薄れていった。

 

その女と出会ったポイントの近くで盛りの若い男がこちらを見ている事に気づいた。無論、俺を見ていたのではなくそのセクシー女の後ろ姿を見ていたのは百も承知だが、その男にしても振り返ってその場に立ち尽くしてまで、舐め繰り回すように見まくるくらいのヤりたい女であったということは想像に難くない。

 

危なかった。俺がもし今日睡眠満足の状態で交感神経にスイッチしている状態でその女を見たら脳裏に焼き付いてしまい、「ああ、ヤリたい。ちくしょー。声かけたい。けど無理だ・・・。」みたいな煩悩を頭のなかで延々スープをかき回すように回想し、下半身は勃起。それをカモフラージュするためにポッケに手をツッコミ、テント化を紛らわしていただろう。そして、その焼付けた姿はプラズマディスプレイの焼付きのように消えること無く俺を苦しめたことだろう。

 

そういうときの回避策は事前に考えてある。

ことあからさま系のセクシーボッキュッボン女限定だが、「いざとなれば思考」をすることでやり過ごそうというものだ。

 

どういうことかというと、そういうセクシー系で胸がでかく体のラインを強調した格好をしている女というものはある世界ではとてもありふれた存在である。

その世界というのはAVだ。AVに出てくるそういう系の女はAVの世界では金太郎飴的に存在しており、むしろスタンダートともいうべきで、現実世界とは真逆の世界観なのが面白い。

 

だから、「いざとなれば思考」を活用し「いざとなればAV男優になればそんな女ともヤれる」と考えるのだ。

 

もちろん実際にAV男優になるのは容易なことではない。薄給、タダ働きなど給料どうこう以前に奴隷同然に扱われるADから出発して一度は地獄を見なければならない。

そのADになるのも簡単なことではないことから、ある種荒唐無稽に聞こえるかもしれんが、あくまでも「いざとなればAV男優になればいい。AV男優になれば、さっきのセクシー女みたいな女とヤリたい放題だ」という可能性さえ示せればいいのだ。

 

そうすることで、その気になれば、いつでもヤレるという余裕が生まれ、そうそうに諦めもつくというものだ。売女みたいな格好の女のせいで、無い物ねだりで悶々とする気持ちを長引かせて、時間を空費してやることはない。

 

これは貧乏な俺の思考回路がなす発想だが、可処分所得が高い男はその女に近い女と実際にヤッたりすればいいし、持たざる者もAVにとんぼ返りして、その女をズリネタにしてズリセンこけばいい。