引きこもり明けに俺を取り巻く世界の情勢が変わった。
引きこもり時代は、暑い寒いで季節を判別していたが、外に出てみると、別の観点から季節の移り変わりを見るようになった。
俺の喪明け(日がある内に外に出ること)からもう9ヶ月くらいになる。最初は朝に小一時間近所を散歩し始めるところからはじまった。
しかし、深みにハマりやすい俺は、散歩の主戦場を朝から日中全般に移し、散歩時間も時の経過とともに増量。気づけば一日の総移動距離42.2kmという自己最高記録を更新し、フルマラソンを完走するレベルにまでエスカレートしていた。
そんなことをして孤独を紛らわしている俺だが、やはり街を歩くという行為はこころ動かされるモノがある。新しい街を訪れ、その街を街たるものにする構成成分である人びとの行動を眺めたり雰囲気を感じるのはカルチャーショックであり、レボリューションでもある。井戸の中のカエルが大海を知ったのである。
街のみならず、季節を楽しむことも覚えた。
9ヶ月経つのでまだ1年ではないが、それでも気づけば季節は一周しようとしている。
俺の散歩人生は冬にはじまり、春を経験、夏を知り、そして現在秋に至る。これから秋は深まりまた冬へと移っていく。以前はそんな繰り返しを年単位で捉えていたが、現在は四季単位で捉えるようになった。
だから、人はその季節ごとに外に繰り出し、季節を楽しむのであろう。外に出て初めて知ったことだ。
男の平均寿命は80歳なので、そう考えるとこの四季の移ろいは80サイクルしかないことになる。俺はすでに30回余空費してしまった。
しかしながら安定した収入はこころを安定させることはもう痛いほど思い知った。
心の平安を取り戻し、季節の移ろいを心から楽しめる日が来た時、晴れることのない心の闇は取り去られるのであろうか。
その時横に男女問わずパートナーがいる図は想像し難い。
人間関係に対するこじれた思考も取り去るためには、脳天に雷が落ちて腐った思考回路をリセットするくらいの衝撃が必要なのかもしれないな。