俺は予備校通いの時に予備校には殆ど行かずに適当に時間を潰していた。
予備校の学費は年間で50万くらい。その親の50万をドブに捨てたのだ。
適当に受験した大学に入学する。
大学にいってからほどなくして昼夜逆転になった。
なぜなら俺は夜学に通っていたからだ。
浪人して日東駒専に入った。俺はその2部(夜学)に入学した。
なぜなら学費が全日制の半分だったからだ。
それで大卒になれるんだから安いもんだ。
当時から俺は自分の人生を適当に考えていた。
普通は昼間に働かないといけない苦学生が夜学に行くもんだが、俺は授業料の安さと倍率の低さで夜学に行った。なんとも不順な動機である。
授業の一時間目が午後4時20分だった。
だから、朝早く起きる必要がない。
怠惰な俺は、だんだんと起きる時間が遅くなっていった。
浪人時代は7時8時に起きていたが、それがだんだんずれていき、昼になり、最終的には午後5時に起きることもあった。
ピークで朝10時に寝て、午後5時に起きる生活。
よく親が黙っていたもんだと思う。
学生の服装は、1部(昼間)と違って、普通にスーツで着ているひとも結構見る。
昼に仕事して、夜に勉強。偉いなぁ今考えると。当時は何も考えてなかったけど。
俺はやがてなんだかで大学行くのが面倒くさくなって、親からもらった定期代を遊興費に回して大学に行かなくなり、適当に道草で時間つぶして予定時刻に家に帰るという、ダメ学生の極みともいうべき行動を取っていた。金ドブもいいところで、予備校時代に50万親の金ドブに捨てた時と同じことを繰り返していたのである。金は命より重いんだという利根川幸雄の格言を当時の俺に教えてやりたい。
基本的に俺の親は放任で、金出して高校大学に通わせればそれで終わりというスタンスだった。
だから、学校生活についても全然聞いてこなかったし、興味もなかったようだ。
それに漬け込んで、今日は授業がないからと言い訳して、午後6時位に家を出るのがデフォルトになった。そして、ブックオフで2,3時間、時間つぶして家に帰るゴミクズになっていた。
さすがに3年になると普通に通いだしたが、それまでのツケで回って単位が足りるはずもない。
そして、留年を経て結局大学を卒業することになるのだが、それまでその生活リズムでずっと過ごしていた。
親はよく黙っていたものだ。ちなみに留年した年の授業料は卒業前から転売活動をしていたので、学費40万を親の金でなく自己負担で払った。その時にはじめて、金を失うことの痛みを知った。
就職活動は全くしていない。というかこんな大学で同級生と一言しか喋ったことのないコミュ症が就活なんて到底できるわけがない。ちょうど俺が卒業する時期は近年稀に見る売り手市場で内定を取るのが簡単だったので人生最大のチャンスを棒に振ったのである。
バカすぎる。けど、無理なもんはしょうがないと今でも思う。きっとタイムリープしても同じことを繰り返すだろう。
就職活動を全然しない息子。なぜ、それが親に許されたのか。
それは転売をしていたからだ。家で仕事をしている素振り(まぁ仕事と化していたけど)をしていたので、息子はこれで食っていくんだなと楽観視していたのかもしれない。
そんな生活を10年続けた結果、結局家族全員が散らばってしまった。
いろいろな要因はあれど、主要因は絶対俺のせいだと思う。
そして、今現在も心から反省せずあっけらかんとしているのが俺をダメ人間たらしめる所以なのである。