クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

ネタは歩いていれば浮かぶ。でも形にするのは難しい

 

イデアを形にすることは難しい。

 

イデアを出すことは誰にでもできる。

でもそれをちゃんと形にして商品化までする人は本当にすごいと思うし尊敬する。

だからヒット作を量産する作家はすごいと思う。だから伊佐坂先生はすごい。

 

最近ネタをうまく成形したりネタ同士を合成することの難しさを思い知る。

ネタばっか浮かんで、形にできんのだ。

 

 

ところで、アホみたいな記事をアホみたいに量産している俺だが、ネタをどうやって調達するのか。

それは、散歩中にアンテナを張り巡らし、ネタになる出来事をキャッチして調達するのだ。

例えば、ストレスがたまること。女の集団、喫煙者、カップル、ファミリーどれもコレも見ているだけでストレスがたまる。それは、嫉妬であることが多いのだがだんだんどす黒いものが心に溜まってくる。それを記事におこすことで、ガス抜きをしている。

散歩は非生産的な時間を少しは生産的なものにし、ストレスも逃がすことが出来、一石二鳥なのだ。

 

 

また、散歩中にふと思いついたエッジの聞いたキャッチコピーなんかもメモするが、その表現が必要とされる時がなかなか訪れないので、無理やりそれを使う方向に話の流れを持っていこうとして失敗。そんなこんなで内容がぼやけた記事の出来上がり。なんてことは日常茶飯事。だがそれでもいい。

 

 

長過ぎる散歩もこのブログも非生産的な時間の使い方と人は捉えるだろう。

一銭の得にもならないことを、日々繰り返し、貴重な時間を空費する不毛な現実逃避の営みと映るだろう。

しかしこれもまた紛れもない現実である。

引きこもり時代の生活は現実感が乏しく、非現実と現実の境界線があやふやになるくらい現実を生きている気がしなかった。

 

それと比べると図書館で勉強したり、ネタ収集を兼ねて外の世界を散歩して感じたことをブログに書いたりして、頭を働かせている今の生活は現実を生きている感覚がある。

停滞していた自分の人生が動き出したような気さえしてくる。

その代償として収入を失った。