俺が最も恐れる未来の日本、
それは老人人口爆発。てかすでにそうなってる。
すでに65歳以上の高齢者は3500万人と信じられないことになちゃってる。
飽食の時代がもたらしたこの現象は、公立図書館にも及んでいることは想像に難くない。
これは俺もそうなるし、体の仕組み上どうしても避けられないということは重々承知しているがお年寄りは臭いのだ。
加齢臭という老化に伴う生理現象なので文句は到底言えないが、臭いが最も防ぎようがないのだ。
ババア4人組はイヤホンで回避できるし、エロい女は徹底的に見なければいい。
けれど臭いはもうその場を離れるしか回避手段がない。
MCI(軽度認知障害)を患ってそうなご老人(男)も紛れ込むことがあり、頻繁に席を立ちブツブツ独り言をささやきながら何処かへ消えていき、しばらくして戻ってくる。
これも加齢の伴う脳機能の低下だから文句は言うまい。
ところで、こないだの9月14日の暗黒放送(川越編)を今更見た。
この動画の中盤くらいに出てくる気のいいおばちゃん達を見ていると、客商売とはいえ、俺の狭い見聞を刺激する。
ババア(老婆)=女(バカ・うるさい)+老人(動くのが遅い)と定義している自分が視野狭窄に陥っていることを改めて思い知らされる。
世の中には非クソババアもいるんだなぁ。
でもこれは横山緑が見ず知らずのおばちゃんと交流を図り、実際に交流したが故に明らかにされた情報だ。人と交流する機会がないと、こういう発見もないし些細な事で無駄にイラつくのである。
俺は、老人の老化に伴う生理現象や異常行動は甘受している一方、クローズドな視点で街行くババアを外的な情報だけで判断し、邪魔だのうるさいだの毒づいているが、おそらく、まともな人間関係を構築してきた普通の人間はそうは感じないのではないかと感じる。
そりゃ多少邪魔だなくらいに思うが、どこか仕方ないなぁ・・・と生暖かい目で見ることができると空想している。
だが、俺の場合は、冷徹な眼光でババアの後ろ姿を心の眼で睨みつける。
(表面上は涼しい顔をしている)
そして不快な気分をネタに変えてブログにぶつける。
実にクソな執筆活動。でもやめられない。とまらない。
しかしながら、人間誰しも腹わたに一物を持っているので、先に述べた横山緑の放送に出てきたおばちゃんたちにも腹黒いクソババアな面があるだろう。
人間とはそういうもんで裏表のない人間を自称する輩は怪しげなカルト宗教の教祖の座に君臨しているだろう。
お互いにいい面も悪い面も受容して継続的に交流する間柄。
それが友達だったり恋人だったり家族だったりするのかもしれない。
俺はすべて持っていない。(家族とも喧嘩別れ)
俺はそんな社会と断絶した生活を送ってきたが、このままでは精神が持ちそうもない。
「交流」が網目のように張り巡らされた社会との邂逅を余儀なくされている。
引きこもりから脱却して散歩して外の世界を知ることで社会との接触を試みた。
しかし、「交流」がないため、それは引きこもりの延長に過ぎなかった。
場所が家の中から外に移っただけ。
コペルニクスがかつてそうしたように、180度考え方を転換し、天動説的考え方を捨て、地動説的考え方をしなければならない。
そんなことは頭ではわかっているが、行動に移すのは困難を極める。
オペで置き忘れたガーゼが臓器に癒着して腫瘤状になり固着したガーゼオーマの剥離が困難なように、長年の交流断絶生活により固定化した自身の考え方を転換することもまた同様に難手術である。
オーゼオーマの剥離に失敗したら出血多量で死ぬかもしれない。
俺の思考転換が失敗したらどうなるのだろうか。神のみぞ知る。