駅前とかによくいるチラシ配り。実にうざい。
最強にうざいのは、狭いどうしても通らなければならないところに設置してあるチラシ配りマシンである。
てか、近寄らないようにわざわざ迂回する。俺の場合は。
なんでこんなことせにゃならんのかと思うが、チラシ配りを無視するのが良心の呵責に多少さわるからだ。チラシ配りのターゲットから外れることで良心の呵責を感じることを回避しているのだ。
おそらくチラシを受け取る人はその配られているチラシの内容に興味があるんじゃなくて、その良心の呵責にさいなまれるのを防止するために受け取るんじゃないかと思えてきた。
チラシ配りマンやウーマンは急いでいる時は本当にうざいし邪魔だし、良心の呵責だし。本当に喫煙者とともに消えてほしい存在だ。
眼中になく存在が見えていないかのように無視したときのチラシ配りの反応が面白い。
明らかに脈なしと考えるとすぐに引っ込めて、後ろの連中に渡そうとするのだ。
その俺から後ろに頭を切り替える瞬間に奴らの虚無感を一瞬感じる。
奴らが心に傷を負う瞬間である。
誰でも無視されると傷つかないはずがない。それが人間だ。
俺もそういう目にあったことがある。大学のクソ女に。
チラシ配りさんはショックでイラッとしてんのかなぁ。あからさまな侮蔑行為に憤慨しているとしたらザマァみろだ。
流石にこれは言い過ぎか。喫煙者よりははるかにマシな存在だし。
そんなチラシ配りのチラシを受け取るか否か。
俺は2%くらいの確率で受け取る。
気分が向いた時が2%くらいだからだ。
それ以外は完全に無視する。
でももしその場でポイって捨てたら最悪だろうなぁ。
でも、むしゃくしゃしてたらやってしまいそうだから怖い。
碑文谷教授の人の怒らせ方講座でもやりそうなすごい挑発的な行為だよなぁ。
そんなことしたら、詰め寄られるかもしれんなぁ。
でもやっちゃいそうだなぁ。特に苛ついてる時は。
そしたら警察沙汰かぁ。このメリハリのない生活の中で警察沙汰も面白いかもしれない。そんなことを思い浮かべるくらいひとりの生活に孤独と生活のメリハリのなさを感じているのかもしれない。
でも、こういうチラシ配りのバイトしてる人って、プライベートではチラシを受け取るのだろうか。