200記事の時は小難しい文章にハマっていたが、それもすぐに飽きた。最近は慣れてきたのか手抜きっぷりが明らかに目立つようになってきており、記事の糞っぷりがブログの名に恥じない出来となりはじめている。
ネタも新鮮味を失い、似たような話題ばかりで人の悪口ばかりこねくり回している。
それにしてもいつまでこの非生産的な愚痴の生産工場の稼働を高速増殖炉もんじゅみたいに稼働をストップさせることができるのだろうか。
出荷しても出荷しても日々イラつくエピソードが新たに納入され、今日もまたクソ記事にパッケージングして、ベルトコンベアに送り出す。
貴重な時間を無駄な記事量産に費やして一体何がしたいんだかわからない。
当初打ち込もうとしていたアフィに対する理想はいつの間にかどこかへ消え失せ、まるで無職が昼間から酒に飲まれて、アル中同然の生活を送っているも同然となってきた。
これじゃ引きこもり時代と何ら変わらない。ただ、場所が外に変わっただけ。
収入がなくてこんなことをしている分、前よりひどくなっている。
一体何をやっているんだ俺は。
ところで、俺は最近図書館にこもって読書をブログ書きの片手間にしている。
ジャンルは自然と人生訓へと足が向かう。
そんなもん読んでも孤独から抜け出せることはないが、折々のフレーズにシンパシーを感じるようになった。
これはブログを書き始めて自分の内心を吐露していく過程で、心の内を多少なりとも整理していったことが大きく寄与している。
どういうことかというと、
人はひとりでできることなんてたかが知れている。成功するためにはいかに良質な人間関係を構築していくかだ
とか文章が書いてあったとしても、以前なら、刺さることはなく、読み飛ばしていたことだろう。
でも、今は刺さる。なぜなら図星だから。
今まで俺が心に内に隠してきて表に出さないようにしていた部分をブログで表にさらけ出すことにより、棚上げしてきた自分のどす黒い内心や過去を掘り起こすことにより、自分の問題点、例えば他人に好かれない理由だとかが浮き彫りにされ、それと他者が書いた人生訓を照らし合わせることにより再確認する。(あくまで図星の確認のみ)
まだ、黒歴史、失敗を改良、改善する段階までは到達していないが、それでも、今までザルのように頭に流し込んではザルのように流れていった読書が30過ぎてやっと意味を持ち始めたような気がしてきた。これが読書の本質なのかどうかはわからないが、深化していってる気がする。
そう俺は考えるとブログを量産していく中で、その行為はただ、愚痴や毒を吐いたり、黒歴史を自虐的に思い返したりするだけの非生産的行為だと思っていたが、知らず知らずのうちに隠さない素の自分と向き合っていたのかもしれない。