俺は元来、右脳派の人間なのかもしれない。
分析とか論理的思考よりも直観的、イメージで物事を捉える節が昔からあった。
文章で表現するよりも絵で表現することを得意とする。
作文という授業が中1の頃にあって『空中ブランコ乗りのキキ』の感想を着眼点が人と違うことを評価されたことがあるが、他のテーマでは感想文なのに小説になっちゃったりして、評価が定まらなかった。
数学系は大の苦手。
手前味噌で恐縮であるが中学校、高校の美術の授業でも、
できあがった作品の点数は大体100点か学年1位だった。
点数が低かった時もある(80点)くらい。それは風景画。
俺は人物ばかり模写していたので、風景はてんでダメだった。
パース度外視で迫力優先で風景を描いたら、歪んだ風景画が出来上がった。
その結果点数は低かったが、周りからは褒められた。
なんで1位じゃないのとか。絵の持つインパクトだけは1位だった。
また、絵心がない生徒に俺の図法(独学)を参考にしろと先生が言っているところを見たことがあった。
高1のときに学年1位だった絵は図書室に飾られた。
これはあくまで普通科の中での話。井の中の蛙と言われればそれまでだが、
俺の成績の中で美術だけは明らかに突出していた。
芸術に点数がつけられるのかどうかは甚だ疑問だが、
おそらく他の人より芸術の才能はあったと思う。
似たような分野である図工はとにかく苦手だった。
というか、構想に時間がかかりすぎて毎回追い詰められている
というのが小学校の頃からの定番だった。
俺は決めること(決断)が大嫌いなのだ。
限界まで引き伸ばす。
そして結局他人に決断を委ねる。
経営学や人生訓の本が言うところの、典型的な成功できない人間だ。
俺の大きな弱点の一つだ。
だからある意味占いで人生の決断をした母親の気持ちがわからなくもない。
図書室の絵もどれを描くか迷って手が動いていない俺を見かねて、
教科書に載っていた奴を先生が見繕って
「これ描いたら」と言われて描いたものだ。
漫画家になろうと思ったこともあったが、話が作るのが苦手なのとペン入れが面倒で
一つも完成しなかった。
俺の尊敬する冨樫先生が言うには絵は二の次で、とにかく作話能力を鍛えろと何かの雑誌かマンガで見た。
クソ映画を自分の観点で、構成はこうした方がいいとか、この演出、俺だったらこうするね!とか分析的に見ていき、改善手を考えることを、繰り返し繰り返しやったことで冨樫先生はあの作話センスを磨いていったらしい。
その助言に従い、テレ東の午後ローを延々と見ていた時期もあったが、
分析的に見るのが面倒で結局倍速で見て内容がいまいち頭に入っていない状態になっていた。
ここでも俺の悪癖、インプット過多、アウトプット皆無で
「全く血肉になっていない時間の無駄現象」が起きている。
勉強だろうが映画だろうが、何らかのアウトプットを試みないと、ザルのように抜けていく。いい加減気づけよと自分でも思う。
と言うか薄々気づいていてもアウトプットをやらないのは結局のところ面倒くさいからなんだろう。
そしてインプットはベルトコンベアに荷物を乗せて流すように「楽」だから、
面倒を避けてインプット過多になる。
結局得た知識は残滓くらいのもの。マジでバカだわ俺。
決断できないこと、面倒なことができないこと、続かないこと。行動力なし、インプット過多。なんでもかんでも自分ひとりでやろうとする。
どれも成功者になれない人間の特徴だ。
以上、俺の才能と弱点。
図書館に籠もり徐々に矯正していく腹積もりだが、いつまで続くかだな。