こんな記事を書いたら願いが叶った。
今日、アルカキットに行ったら、チョコマシュマロが理路整然と潤沢に商品棚に陳列されていた。
ありがとう!アルカダイソーの人よ
ちなみに、渋谷のダイソーで購入(ラス1)して、更にアルカキットでも1つ購入した。
それにしてもうまい。何個でもいける。
いや~願いが叶った。
ブログに書いたことが叶うとしたら、俺の願いとは何なのか。
過去に色々と書いてはいるが、それは人並みの人生だろう。
そのために他人と交流すること。
①
しかし、それができない。
難しい。
なぜなら、心にロックをかけてるから。
しかも自分でその外し方がわからない。
多分、他の人に外してもらわないと解錠しないんだろう。
なぜ自分で解錠できないのか。
まず俺は、必要に迫られないと他人と交流をはかるための行動をしない。
例えば、金が尽きて、金を稼ぐ必要に迫られないと、人間関係の中に嫌でもぶちこまれるバイトはしないだろう。
俺はまだ貯金があるから、バイトはしない。
故に、人間関係の中に入ることはない。
交流がなくても生きていける。
人恋しいという寂しさとこのまま一生こうなんじゃないかという焦りを感じつつも、相反する人付き合いの煩わしさからの離脱というメリットも享受しているため、結果的にフットワークが重くなる。
さらにフットワークを重くするのは自分の履歴だ。
職歴なしの無職なんて社会不適合者ひいては犯罪者予備軍と思われてるんじゃないかという先入観が邪魔をして、自分に自信が持てずに、最初の一歩が踏み出せない。
(実際そう思われてるのかも)
どの面下げて交流の申込をするというのだ。
友達の作り方を忘れてしまったため、友達作りをバイトの面接かなんかと思っているのかもしれない。
俺とは逆に行動力があって、SNSとか出会い系で外の世界と交流を持つために発信する奴らは凄いと思う。
そのバイタリティーはどこからやってくるのか。性衝動からなのか。
しかし、性衝動だとしても、俺はオナニーでインスタントに性欲を処理すればいいというある意味スマートな思考に終始して、動かざること山の如しとなってしまう。
結局、自分から動こうとはしないのである。
これが、自分が内側から心のロックを外せない理由
結果、人との交流はまたも断絶される。
すると、他人との交流がないから、外から外しようがない。
エレベータに閉じ込められたとして、いくら助けを求めても閉じ込められていることに気づいてもらえなければ、誰も助けにきてくれない。
結論:心のロックが外れない。外からも中からも。
対策:内側からロックが外せないのが原因で、外側からロックが外れないのであれば、もう内側からロックを外せないことを改善するしかない。
つまり自分が変わらなければならないのだ。
そして①にもどる。
いつまでたってもこうだから、その一向に進展しないタスクに対する苛立ちをブログにぶつける。
そしてクソ記事が今日も量産される。
ブログに書けば夢は叶うかな?だと・・・
叶うわけねーだろ。