こじつけのようだが、生涯でゆうに1000回以上は確実に聞いているXJAPANの紅の歌詞が今の俺とシンクロする部分があるように感じてきた。
俺が見えないのか すぐ傍にいるのに
→みんな俺がみえていないかとのように滔々と歩いている。
大学時代にも教室の中で同じような経験をしたことがある。
愛のない一人舞台もう耐えきれない
愛=交流(愛も憎しみもある他者との交友関係)
一人舞台=孤独な人生
他人と交流がない孤独な人生、もう耐えきれない
→まだ耐えられるが、これが10年、20年続いていくとなると、多分親も片方は確実に死に、もう片方も危なくなってく
る時期だろう。両方共死ねば、正真正銘の天涯孤独となる。
All of you in my memory
is still shining in my heart
(俺の記憶の中のおまえは今でも俺の心のなかで輝き続けている)
=今よりは楽しかった過去の思い出に浸る俺
→ブログで昔話を書きまくる
紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない。
紅に染まったこの俺=誰とも接点がなく、周りの人間への嫉妬で常にイライラして顔を赤くしている俺。孤独に由来する。
慰める奴=家族
→家族と同居しているときにも、そりゃあ孤独を感じることもあったけど、それは真の孤独ではない。
けど今は真に近い孤独だ。
あくまで近いだけで真の孤独ではない。なぜなら、交流が断絶しているとはいえ生きているから。
何処か別の場所で生きていてくれればそれだけで希望があることを祖母が死んだ時に知った。
真の孤独とは、天涯孤独の状態だ。
唯一の接点である家族とも別居している。もういない。
この歌はoh crying in deep red
という歌詞で終わる。
直訳:紅の中で泣いている
紅=顔を真赤にしてブログに感情をぶつけること
→俺はブログで感情を書きなぐりながら、泣いているのかもしれない。
泣くというのは感情の解放だ。そして解放される際にストレスも解消される。
泣く=ストレスの解放
→俺はブログでストレスの解消をしている。
なんかあたっているような。
YOSHIKIが意図したものとは大分かけ離れているが
解釈なんて人それぞれだから俺の解釈はこれ。
燃えがいまいち、駄作だぜ。