クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

なぜか忙しい無職|不幸と幸福の同居

 

 

俺は忙しい。

 

散歩をして、図書館に行って、渋谷行って、帰ってきて、飯作って、飯食いながら暗黒見て、ブログ書いて、風呂入って、洗濯して、なんてしているとあっという間に一日が終わる。時間が足りない。

 

というか暗黒もためがちで、加藤純一については7月くらいからずっと見れていない。

他にも、映画、漫画、ゲームにも興味があるが、時間が全然足りないため、これらはなくなく断念している。

 

こんな生活で他人に捻出できる時間などないのだ。

スケジュールがキツキツ。やりたいことが多すぎて一日で消化出来ない。一日32時間くらい欲しいくらいだ。

よく世間の人は働きながらプライベートで友達やら彼女やらと遊べるなぁと思う。

時間術の達人揃いなのかとすら思えてくる。

 

最近は散歩の時間を削り、図書館でブログ書いたり、本を読んだり、辞書を見たり、小難しい本を読んだり、実用書を読んだりしているが、図書館の本を見ていると、いろんな本ジャンルの本を読みたくなって、これまた時間が足りない。またやりたいことが増える。

 

ある意味好奇心の塊かもしれない。あくまで自分の中で完結できるものに限ってだ。

だから、死ぬまで他人と関わることがなくても生きていける様な気がする。そこが怖いのだ。

無限に時間を潰せる自身完結型の趣味が湯水の如く湧いてくるため、困るのだ。ブログもそのひとつ。

 

金と責任が発生するとそれは仕事になり、仕事になるとやる気がしない。でもやらないと生きていけない。この生活をいつまでも続けたい。いつかは終りを迎えるんだろうけど。

 

そう考えると、今俺は幸せなのかもしれない。

自分の身の上をさんざん今まで愚痴り、誰もかもから隔絶した世界の住人である俺は不幸だと自称していた。

しかしながら、その中でシゴトに縛られることなく、自由に自分ひとりだけの幸福な時間を過ごしているという不幸と幸福の同居が起きていることに今気づいた。

 

外郭の中で誰も寄せ付けず自分のやりたいことを日々淡々と済ませていく。

でもそれじゃあ、いざという時に誰とも繋がりがないと、誰も助け船を出してくれない。

友人関係やら恋人、家族をいざという時の保険とでも考えているのかなぁ。

こんなんだから、人間関係ダメなのかも。