クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

素の自分をさらけ出す勇気

 

 

家族の前以外でナチュラルに喋れたことなどない。

きっと信頼関係が築けない人間だからなのだろう。

 

普通にクラスメイトと話せたのは小学校、いや中学1年まで。

それ以降、ぎこちなくボソボソと何言っているかわからないくらい、よく聞き返されるくらい、小声で喋っていた。

家族と比較すれば一線を引いているのは間違いないと思うのだが、なぜこうも落差があるのか自分でもどうしようもできないものだから、ずっと不思議に思っていた。

 

もしかしたら、普通の人は何本もラインを引いているのではないか。

 

友達ライン

恋人ライン

家族ライン

 

こんな具合に。

ラインを引いてそれに応じた対応、自分をどこまで晒すかを見極める。

意識せずとも無意識にやっているのではないか。

もしそうだと仮定すると、人間経験の豊富さがそのようなことを可能にさせるのか。

俺にはわからない。

 

俺は一本のライン。

白か黒かだけだ。

白は信頼できる家族。

黒は家族意外の人間。

それが俺のライン引きだ。

オセロかよ。

 

 

素の自分をさらけ出せそうな相手がいても、どこかでブレーキをかけて躊躇するだろうな。

最後の最後で勇気がいるんだろう。

 

じゃあどうやって勇気出す?

勇気なんて俺にあるの?

当たって砕けろで。

もういいじゃん。

もう終わった人生。

失うものなどない。

取り繕うものなどない。

さらけ出せずに一生を終わるより傷ついた方がまし。

だろ!じゃあ決まりじゃねーか。

さぁ、さらけだせ!

 

どりゃああああああああああああああ!!!

 

 

なんてことが勢い任せならできるかもしれない。

 

勢いって大事だよなぁ。

これは少ない経験ながらも実感している。

 

詳細は伏せておくが、長年決断できずにいた決断をしたとき。

その時は赤の他人に宣言した。

そして自分を追い詰めた。

逃げられないようにした。

そうしたら勢い任せにことがトントン拍子で進み、レールが敷かれた。

そして、レールに乗り、最終目的地までたどり着くことが出来た。

結果、長年の悩みの1つを解消することができた。

 

これが、他人に対してもできるようになれば、脱皮できるような気がするんだがなぁ。

あの時も、自分の今まで誰にも吐露したことがない内心をさらけ出したからなぁ。

相当勇気が必要だったし、告げている時に赤面もし、汗も流れた。

 

その大いなる決断のきっかけは恐怖だった。

とあるヤバイことが自分の身に起こって、病院に駆け込んだことから全てが始まった。

 

だからとんでもない非日常的な出来事が自分の身に降りかかれば、自分を変化させざるおえないかもしれない。

必要に迫られる状況が作出されるのだ。

いわゆるショック療法。

 

しかし、素の自分をさらけ出す勇気がないと、性行為すらできそうにない。

なぜなら生まれたままの姿を晒すわけだ。

相手を信頼していないと出来ないことだ。

それこそケツの穴まで見られるんだ。

見られるのだ。知られるのだ。

あそこを含む自分の見られたくない恥部をまじまじと!

 

こんなことを考えるのは、か弱い女性(?)だけかもしれんが、素人&玄人Wの完全童貞俺も例外ではない。

 

もしかしたら着衣でやるかもしれん。

もしくは、電気を完全に消して漆黒の闇の中で。

 

もうほとんどビョーキ。