図書館だと全くブログを書く気力がわかない。
なぜなんだ。
周りにパソコンをカタカタしている人もいるけど、明らかに少数派に感じる。
特に土日はほとんどいない。
なぜなら勉強しに来る子供が図書館にやってくるから。
土日休みだから図書室も閉鎖されてんのかね。
だとしたら図書室くらい開放してやりゃあいいのに。
平日はビジネスマンやらウーマンやらがパソコンをカタカタしているが、基本的には空気がそれをよしとしない。
ここは図書館。パソコンをカタカタするところじゃないんですよ。みたいな空気感。
俺が小心者なのかもしれないが、静音マウスでもない普通のマウスでカチカチやっているおじさんもいる。その図太い神経が羨ましい。
というかこのIT社会にノートにカリカリ書いている人だらけ。
俺は昔からノートに何かを書くのは、数学の問題を解く時くらいしか記憶がない。
勿論板書はノートにとるけれど、基本的には教科書に直接書き込んじゃうタイプだった。ノートに再構成するのは時間の無駄に感じた。
けれど最近ノートに書いてみると、キーワードとか要点のみ絞ってメモするようにすると、あとから見た時にそのキーワードから記憶が想起されて本(学生時代なら教科書)をダ~って読み返すよりも短時間で済むような気がしている。今のところだけど。
何を今更と思われるけど、友だちがいれば、効率的なノート術とかをノウハウとして得ることができたんだろうが、俺の友人関係同様完全に独りよがりの勉強法となっていた。
勉強法の本も当時から発売されていた気がするが、勉強法の本が発売されている事実もまた知らない。
本屋なんて漫画買うくらいしか行ったことがなかったし当時はアマゾンもなかった。
というかネット環境がなかった。俺が中学生までは。
やっぱり情報というのは大事だ。
インターネットがなかったら俺はどうなっていただろうか。
でもインターネットに誘惑され膨大な無駄な時間を消費したのも事実だ。
現在俺はネットなしでは生きていけない。
2006年くらいにパソコンが起動しなくなってネット断ちを余儀なくされたことがあったが、禁断症状でどうにかなりそうだった。
ネットを使いこなすんじゃなくて、ネットに使われている。
こうやってデジタルに浸かっていると、時には我に返って、アナログに立ち戻ることも必要に感じてくる。
図書館で、本を読んでいてインスピレーションを感じた文句なんかをノートに書き写して、書き写したものを後から見てみると、こんなことやったなぁと懐かしく思えてくる。
デジタルだと無味乾燥に感じるのでアナログならではだと思う。
パソコンだと、敷居が高い図の作成なんかもアナログだと気軽にできるので、考えを整理するにはノートのほうが適しているし、更に言うならホワイトボードが最適。
でかいし、簡単に消すことができるし複数人の意見の統合閲覧に向いている。
でも文章作成はカットペーストが容易なデジタルに軍配があがる。俺の記事は行き当たりばったりの文章の集合体なので、段落ごと差し替えなんてのはしょっちゅう。
こんな時に紙だとうんざりするような訂正も、デジタルなら簡単にできる。
要は使い分けということなんだろう。
できる奴は、デジタルとアナログも適材適所、ガジェも手帳も必要に応じて使い分けているのだろう。
デジタル一辺倒、アナログ一辺倒よりも効率良く、本の中の情報や頭の中の記憶をまとめ、それをアウトプットできる。
でもなぜこんな簡単なことに今まで気づかなかったんだろう。
ひきこもって社会と隔絶された環境にいると自分の常識が世間の常識だと錯覚する。
特に長期にわたるひきこもりになると。
そして、それは独りよがりな考えを助長する。
これもやはりひきこもりの弊害なんだろうな。