もう何のために生きているのかを考え始めている。
こんな事を考えるのは、不幸なやつか哲学者くらいだろう。
哲学者なら仕事だから好きなだけ考えてりゃいい。
それで食い扶持を確保できるから。
しかし不幸なやつは絶対に考えちゃいけないことの1つだと思う。
逆説的に言えば、こんなことを考えているから不幸だとも言える。
原宿とか渋谷とか行ってみ?
そんなことを考えてるやつなんて全然いねーから。
奴らの頭にあるのは
今が楽しければいい
それだけだ。
勿論本人にインタビューして確かめたわけじゃないが、顔に書いてある。
その場所にその時にいる人間たちはみな今を楽しんでいる。
家に帰ってから落ち込んでいるかもしれないが、街を歩いている時点では今しか考えていない。
今しか考えない。
今が楽しければそれでいい。
昔はこういう風に考えている楽しそうにはしゃいでいる同級生を見る度、そう思っているのは今のうちだけじゃないかな?などと心の隅でバカにしていたけれど。
でも最近は今を楽しめない人間が、将来楽しめるようになるか怪しいもんだってことを考えている。
現に俺は、10年前も不幸だった。
そして、10年後の今も不幸なことに変わりはない。
人生ってのは「今」の連続でできているし、「楽しい今」が多い人の人生は、少ない人のそれよりも、幸せな人生と言えるだろう。
俺は、後者。
そして、停滞の状態が続いていくと、それに脳が慣れてしまい、不幸がデフォルトの状態になってしまう。
そして、脳は性質上、変化を嫌う器官であるから、突然幸福になれるチャンスが訪れたとしても、それをふいにしてしまう。
どうせ俺なんか・・・とか、きっとなにか魂胆があるのだろうとかその幸福のチャンスを疑いにかかる。
そして、気づけば手の中から幸福はどんどんこぼれ落ちていき、何一つすくうことはできなかった・・・。
こんな経験ないだろうか?
俺だけかね。