俺の昨日の顔はどうだっただろうか。
今にも人を殺しそうな顔をしていただろうか。鏡やそれに類する反射物がないと自分の顔を確認することができないが、おそらく、酷い顔をしていたと思う。
自分では理性を保っていたつもりだったが、外面は鬼の形相だったかもしれない。
無意識に周囲を威嚇し、すれ違う人間すべてに槍を突きつけていたかもしれない。
ところで、俺は昔(学生時代)は愛想笑いの達人だった。
達人の域まで達した隙きのない愛想笑いで、寡黙な癒し系キャラを演じていた。
一家に一台ドラえもんみたいな感じで、一家に一台ほしいという触れ込みさえとあるクラスメイトから言われたほどだ。最優秀助演男優賞ものだ。
口下手で内向的な俺はこの達人級の愛想笑いで学生時代をさしたる苛めも経験せず奇跡的にやり過ごすことができた。
だが、今はそんな無理を強いることもない。だから、もともと防衛のために突貫工事で作り出したキャラを随分長いこと演じてしまったものの、とうの昔に捨て去った。現在の俺の顔を見たら当時のクラスメートからしたら青天の霹靂かもしれない。
もしかしたら気づいているやつも数名いるかもしれない。長い中高6年間の小日向文世生活で一度だけ自分のわがままが暴発した時があったからだ。
そこを足がかりにして、普段の言動をつぶさに観察していた1年間席が近かった一人二人は俺の本性を見抜いていたかもしれない。
大分昔話にソフトしてしまったが、軌道をもとに戻そう。
普段の俺は無表情だ。ポーカーフェイスといえば聞こえはいいが、能面もいいところだ。
読んで字の如く、希の意味での無表情のためすれ違う度に一瞥する人々は違和感を覚えたり異様に映るだろう。
昨日はその能面が般若の面にすげ変わっていたというだけだ。
でも不気味な能面から最近は悪臭が吹き出してきている気がする。
それは持てる他人への嫉妬だったり、持たざる自身の不満足な身の上を憂う邪な雰囲気だったりだ。
街行く連中も単独行動だと表情変化は乏しくなるが、それでも表情はある。
俺と違って完全なる能面ってわけじゃない。
ところが、複数人になると途端に表情豊かになる。無表情でコミュニケーションをする人間なんぞいないからだ。
葬式の席ですら悲しい顔をしている。ただ、身内の死のショックで緊張の糸が張り詰めていて無表情になり、その状態で会話する人もいるかもしれない。
いずれにしても市中で無表情で会話している人間なぞ皆無だ。
だから土日は辛い。そういう奴らの母集団に対して占める率が飛躍的に上昇するからだ。
労働者の休日は毎日が日曜日の俺とは性質を異にする。
土日はプライベートタイムだからそいつらはたまの余暇をエンジョイしているわけで、仕事から解放されて家族や恋人と水入らずの時間と空間をともにする至福の時であることが通常だ。
だから皆一様に幸福の表情をしている。
それが心をかきむしる。かきむしられると心からどす黒い汚物が噴出する。
ありとあらゆる負の感情だ。
それが石仮面から漏れ出ているんだろう。
おれはディオなのかもしれない。
時は止まりません。