親に何かを相談する時。
人生相談だったり、家のケーブルテレビはやめるかとか、無線ルーターはどうするかなどの小さいことから大きなことまでそれなりに相談した。
でも俺は親に相談するのがたまらなく嫌だった。
親に心配をかけるのが嫌というわけじゃない、親に相談自体するのが嫌だった。
なぜなら相談する度に嫌な思いをさせられてきたからだ。
毎度、想定外の思わぬ返答が返ってくる。
それは大抵俺を否定する内容のものだ。
話半分で切り捨てる。
だから面を食らう。
絶対にプラスの反応をされると確信しているのに、期待の反応と真逆のマイナス反応をされるのだ。呆れ顔で。
こういう家庭に生まれた人も結構いるんじゃないかなぁ。なんとなくだけど。
だから普通の家庭に憧れていた。
親が子供の相談に親身になって否定せずに、間違っている考えを修正し、説得してくれるという模範的な家庭を。
そしてその普通だと思っている家庭もまた外面だけで、内面は醜悪に満ちている。
そんな話を親からされたこともある。
自分の家の常識は他人の家の非常識という言葉を聞いたことがあるが、たしかに子供時代に友達の家に遊びに行った時に感じた違和感の正体こそがその言葉に集約されているのかもしれない。
自分の親ですらそうなんだから、身内でも何でもない単なる部下の場合は考え足らずの妄言(ぼうげん・もうげんだと何故か変換できない(グーグル日本語入力))と切って捨てられるだろう。
でも、捨てられる側の部下にしても、上司は所詮赤の他人だ。
会社を辞めれば縁も切れる。金の切れ目で縁が切れる。
(う~んでも、普通の人は40年余そこで平日の日中暮らすわけだから家族と変わりないのかな)
しかし基本縁が切れない家族の場合はどうしても心の何処かで「期待」をしてしまう。
(俺が社会人になったとして、そうすると自ずと上司というものができるわけだけど、その上司に何か期待をするのだろうか?そんなことをふと思った)
そしてこうも期待と真反対の反応をされることが連続すると、期待が持てなくなる。
そして、表には出さないまでも、家族への不信が生まれてくる。
いつもいつも否定されるわけだから。
そして自分がわからなくなり、コンプレックスの枷もあり、泥沼に嵌っていく。
家で転売で稼いでいる風を装ってなんとか追い出されまいと居場所を確保し、家族とも接触をもたなくなっていった。
昔はそうじゃなかったが、ひきこもり時代から特にその傾向は顕著なものとなった。
演じる場が、学校から家庭にすりかわったのだ。
何がいけないのかわからない。
俺自身がいけないのかもしれないし、環境が悪かったのかもしれない。
おそらくどっちもだろう。
俺自身のいけないところは引っ込み思案で人と関わりを持てず、その原因は内面に抱える昔から心に根ざしたコンプレックス。
家庭環境も学校の環境も誰かに心から手を差し伸べられて救われた覚えはない。
差し伸べられたことはあったかもしれないが、それは庶務的なものだっただろう。先生の義務だったり、先生に言われたからとか。隠すのが未熟だからすけて見えちゃうんだよね。
(しかし、隠すのがうまいやつだったら俺は洗脳されていたかもしれない。なにせ弱み(コンプレックス)を抱えている人間は洗脳しやすいだろうからね。)
最初から誰にも期待すべきじゃなかったのかもしれない。
誰とも関わりを持たないようにしていたつもりでも実はありとあらゆる面で他者に依存してきたのかもしれない。
なぜなら俺は自分の力では何もできない人間だったから。
体はおっさんでも心は子供だから。
一旦、温室から出て社会人になってリセットしなければ幼形成熟から抜け出せない気がする。
ショック療法だ。
一度全部破壊して、一から俺が俺を作り上げていく。
時間はかかるだろうが、このままいつまでも子供だと、ホームレスは待ったなしだ。
頭ではわかってるんだけどなぁ~。そもそも働き口はあるんだろうか。
バイト・・・。バイトを10年してもまた10年を繰り返すことになる。
金はできたが、何も自分に落とし込めていない事実が10年後に発覚する現象。
すでにこの10年間の転売人生で経験したことだ。
クリエイティビティーな仕事と言っても何をしていいかわからない。
そもそも可能性がありすぎて範囲が広すぎて何から手をつければいいか、最初の一歩が踏み出せない。これだ!っと電流が走るような「気づき」がない。
そんで、レンタルサーバー代だけが月々吸われていく。
俺は根っからの指示待ち人間なんだろう。
「これしろ」「あれしろ」と言われて「よっしゃ!」というのはOKだけど、ゼロからやれ!と言われると可能性がありすぎて詰む。
だからスカイリムは嫌いで、和ゲーのRPGのような一本道ゲーが好き。
てか、俺の親!俺を否定すんじゃねーよ。
俺がひねくれたのもお前らの影響は少なからずあるんだからな!