ヤフオク出禁を食らってからというものの、かつての余裕はなくなり、拠り所を奪われてから自分の価値がわかった。
無価値だということが。
俺は転売するしか能がなかった。それ以上でも以下でもない。ただの転売屋だった。
だから、ショバを出入りできなくなると何もできない。金を稼ぐ方法はそれしかなく、それを封じられれば金を稼ぐことは出来ない。
今まで、医者に行ったときの初診のカルテの職業欄に自営業と書いていたが、こんどからは無職と書かざるおえまい。
一応今はニートだが、どうせ後、1,2年もすればニートの定義からは外れ、無職となる。だから、今のうちから無職と名乗っておこう。
もう親とは同居しておらず、音信不通なので誰も頼れない。こういうピンチの時にいままでなら親がケツを拭いてくれたりしたが、もうできない。自分で金を稼ぐ方法を見つけなくちゃならない。稼がない日々が続いていくのもライフが目減りしていき心臓によくない。
ろばきよの本を読んだが、お前の本当にやりたいことはなんなのか?手に入れたいものは?みたいな文章を見てはっとした。なんてことのない文章だが、俺のやりたいことってなんなんだろう?と思い、頭をひねるが、俺が欲しいものは金と自由だった。
別の本には、健康、時間、人間関係、金って書いてあった。大体そんなところだ。
しかし、これを得るために皆がんばって積み重ねているが、俺にはそれがない。(こういう他人と比べる思考は危険な気もする)
10年失ってしまった。また10年一からやっていかなきゃならない。
大変だ。まずは、1つに集中したい。分散はよくないと5分~の人のスマホがどーのこーのっていう本に書いてあった。
グーグル、ユーチューブはインターネットしてる人に関連動画とかで、その人の注意を分散させ、無駄に長く滞在させるという策略をとっていて、時間を無駄に浪費させているという。俺も例に漏れずそれに嵌っているということがわかった。
やっぱり10年遅れなんだなぁ俺の人生。まだ、10年で済んでるけど、これから2,30年と差が開いていくんだろうな。
60代で悠々自適の引退生活を楽しんでいる同世代の傍らで、20代、下手したら10代がやるようなバイトをやっている俺。
そんな図が容易に想像できる。