休日に感じる主な感情、それは嫉妬。
俺が心の奥底では喉から手が出るほど(でもないか)ほしい物を持ち、それをひけらかしている人間。
恋人、家族、子供・・・。
それぞれ、愛情、性欲の解消、家族団らん、苦境を乗り越える相手、未来の可能性などに嫉妬の目が向く。
胸はむしゃくしゃし、頭では水面下で攻撃する。
実に虚しい行為。どんなに石(意思)を投げても、水面(相手)に波紋すら立てられない。いやいや、立たせちゃったら事案になっちゃう。
その人達からしても別にひけらかしているわけでなく、ただ単に愛する人との時間を共有する場所がたまたま俺の近くになったというだけなんだけどね。
彼らにとっては「友達とはいつのまにかできているものであり、作るまでもなく勝手に出来上がっているもの」なんだろう。
俺が薄れし過去の記憶を呼び起こしていくと、中学校入学当初は当たり障りのないから始まって、席の近くの者同士が仲良くなって、いつの間にか友達になっている。こういうパターンが多かった気がする。おれもそうだった。中1までは。
でも中2の第二次性徴期にコンプレックスが芽を出し、まもなくそれに取り憑かれて自分の殻に閉じこもったせいで、何考えてるやつかわからない認定されていたが、それでも軽い世間話程度ならぎくしゃくしながらもボソボソしていた。
中学、高校のクラスという狭いコミュニティ内だとなんだかんだいって多少の会話はあったが、大学にもなるとそうはいかない。
自分から積極的に介入しない限り、友達はできない。少なくとも俺の場合はそうだった。しかも入学時にダッシュで行動しないと厳しい。
なぜなら、初期のグループが形成されるのに思ったほど時間はかからないからだ。
1ヶ月後になると、○人組は形成され、うかうかしていたものはぼっちになる。俺の場合さらに大学にもいかずにサボっていたからなおさらのこと。
単位のためだけに大学に通う日々。特にメリットがないため、完成されたグループのメンバーはそれ以上グループ内に他者を勧誘しようとしない。勧誘するのは金目当ての連中くらいだろう。人が増えすぎると管理が面倒出し、狼が紛れ込む可能性もある。その可能性を排除するために少数精鋭の密度の濃い友達グループを作成するんじゃないかと妄想する。
大学のときの友達は一生の友達になるから大切にしろみたいな言葉を何処かで聞いたことがある。社会人になると仕事に追われて友達なんてできないからみたいな理由からだろうか。恋人ができ、子供ができ、最も優先度の高い小さなコミュニティに時間を割かれるから、大学時代の腹割って付き合っていた気兼ねせずに弱音を吐ける人間は貴重なものになる。逆に言えば、そんな信頼のおける人間を新たに作成する時間がなくなるためなのだろうかしら。
以上は俺が思う普通の人間の人生の前半戦。
しかし俺は、そのメリット、デメリットをすべてほっぽりだして、自分だけの世界に逃避した。そして、痛みは伴ったが定番の転売品を発掘し、ニコ動やユーチューブを観ながら作業をする。実家ぐらしで貯金はたまる一方、経済的な面では楽だった一方、いつの間にか他者と関わることについて意識しなくなっていった。なんとか生きていける気がした。金は稼げているわけだから。
しかし、その楽園を先日取り上げられた。失楽園。
転売を一旦止めたときから少なからずこの楽園が崩壊することを感じ取っていたのかもしれない。税金、手数料、運賃などのコストが全面的に上がり、利益を圧迫。薄利多売の限界がきていた。いずれ収支がマイナスになり、どん詰まりになるんじゃないかという不安についてはこれまでも頭の片隅で常に感じていたことだが、それがいよいよ顕在化してきたということが身近に感じられるようになってきた。
秋葉転売の末期のようなあの閉店セール感。
また新しいビジネスを見つける時期がきたのかもしれない。
2009年に秋葉を引退してから8年。また新しく何かを始めるか、それとも今度こそバイトをするか。
何かを始めるにしてもきっと痛みはあるだろう。秋葉引退後のネットで仕入れネットでさばく転売方式も、最初は秋葉時代に稼いだ貯金をすべて失うという痛みを伴った。
そこから軌道に乗り秋葉時代の貯金の倍以上稼ぐことができたが、軌道に乗るまでは月々の運賃の支払いにも窮するくらいのどん底だった。一生懸命やってるのにドンドン金が減っていくあの二度と味わいたくない感覚。まさに地獄だった。
てか実家ぐらしじゃなかったら、潰れてた。それももうない。
でも、のんびりはしていられないんだよなぁ。なぜなら、日に日に預金(ライフ)が目減りしていくから。生命活動を維持するだけで預金が衣食住に奪われていく。
はぁ・・・。面接とか行きたくねぇ。コミュ障だし、どんな服着ていけばいいのかもわからないし、やってけるか不安だし。その前に病院行かないといけないし、ああ、全部投げ出したい。
長々と失礼しました。