なぜ平均に近づこうとするのか?
俺は体のサイズにしても平均値を気にする。
このパーツは平均より小さい、でかいとか
俺のコンプレックスもそんな容姿に関するものだ。
もしもすべての顔のパーツが平均値だとしたら、イケメン、美人のはずだ。
平均顔が美しいことはどの国でもそうだろう。
ググればわかると思うが、決してブサイクではない。
AKBの平均顔
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以上、1ヶ月前の下書き。
ところで今日、錦糸町で190くらいの大男を見た。
その男の顔の骨格は柔道の篠原みたいな感じ、いやそれ以上のインパクトだった。
20代くらいだと思う。ハガレンのアル(鎧時)を思わせるアゴの発達っぷりに舌を巻いた。
身長は高いけれど、その人を見て正直「かわいそう」と思ってしまった。
この人は平均から相当に逸脱している。
日本人離れどころか人間離れしていた。(ごめんなさい)
俺も逸脱している方だと思っていたが、次元が違った。
下顎と言ったら、俺が今日も行った病院の薬局の人も口が裂けても言えないが「クリーチャーのような下顎(受け口)」だった。
人間というか怪物(相当失礼)に近い見た目だった。ゴブリンというかよく自殺しないなと正直思った(すいません)。
俺も自分に対する醜形恐怖がひきこもりに至った原因の一つだと分析しているが、上には上がいるもんだと思った。
そして、(大変に失礼だが)そんな見た目でもまっとうに社会生活を送っていることに尊敬の念を抱くとともに、俺のクソっぷりに情けなくなった。
思えば昔っから、イケメンになりたいというより、普通の顔に生まれたかった、そう思っていた。
普通の顔(無難な顔)の人が羨ましかった。
そして俺は平均から逸脱していることを異常に気にするようになり、精神が侵されていった。
簡単にいえば受け入れられなかった。
今日見たクリーチャー達はとっくのとうに自分の運命を受け入れて前進している(ように俺の目には映った)。
いい大人だから。
やっぱ俺は子供だった。自分の運命にだだをこねてこんな歳になってしまった。
もういい歳だ。そろそろコンプレックスをネタにしても傷つくような思春期でもない掃いて捨てるほどいるおっさんの一人だ。
おっさんといえば昔からどこか、はやくおっさんになりたい願望があった。
おっさんになると要求される容姿のハードルが低くなり生きやすくなるのではないかという考えからだ。
ひねくれるとこういう発想になるという好例かもしれないが、俺はそんな生き方を望んじゃいないはずだ。
普通に友達がいて、彼女がいてみたいな学生生活を送りたかったんだと思う。
その気持にフタをして、ゲームやらにのめり込んでいったが、心の底ではリア充してぇえええと深層心理で感じていたに違いない。
もしも俺が思春期そうそうに今のような気持ちになりコンプをネタにしてコミュニケーションお化けになっていたら絶対に人生は違っていただろう。
そう考えると、当人の気持ち次第でどうとでもなりそうな気がしてきた。
事実そうなのだろう。