毎年思うけど、一年経つのってあっという間だ。
それだけ中身のない生活をしているからなのだろうか。
以前流通ジャーナリストの金子哲雄について思うことを記事にしたことがあったけれど、彼のように、自らの寿命から逆算して日々余すことなく精力的に1日1日を充実させなくてはならないんだろうなぁ。
ぼーっと生きていると空っぽのまま老人になってしまいそうだ。
俺もう30を超えている。若くはない。
渋谷とか原宿とかそういう若者が集まる地域に行くと特にそれを実感する。
しかし、そんなことはどうでもいい。過ぎたこと。
今から3年前にやっていたことから始めようかな。
3年前に何をやっていたかというと、家の中で不便利なシステムや重い腰を上げないと汚れが落ちない箇所の掃除とかを20コくらい箇条書きにして一つ一つ潰していく作業をしていた。
そして、そのリストの中で最も大仕事だったのが、テレビ関係のシステム変更。
ケーブルテレビ⇢アンテナにする計画。
計画に1ヶ月くらいかけて、アンテナの設置場所や、屋外配線のルートとかを一つ一つ検討していった。
そして、地上波のアンテナとBSCSのアンテナ、ブースター、ケーブル、分波器などを購入。ケーブルを適当な長さにカットして、F型コネクタを取り付ける。
屋外の分配器の地点が高かったため、ハシゴも購入して、せっせと配線していく。
作業を終え、テレビがケーブルテレビなしで映った時すごい達成感があった。
これでケーブルテレビ代の月2500円が浮くのだ。
(それを払っていたのは親だったけれど)
家族の役に少しは立てた気がした。
思えば、問題を設定して、その問題を解決する役割を自分に与える作業をしていた気がする。
リストに書いた分だけ。
これは、今思えば『超凡思考』他に書かれていたいわゆる「小さな勝利」を積み重ねる作業をしていたことに他ならない。
家の中の小さな問題を1つ片付けるごとに1つの小さな勝利を勝ち取る。
それを続けている間は1日1日を無駄にしていないぞという充実感があった。
またその時は1日に一回は新しいことをしようとしていた。少しでいいから何かしら前進しようとしていた。
もしかしたら、停滞は人間(俺)をダメにするのかもしれない。
常に前進していくのが人生の正しい歩み方なのかも。
常に同じことをしているというのも停滞に含まれるかもしれない。
今年アホみたいに外にでて散歩しまくったが、引きこもり時代から一皮二皮剥けた感覚は実感している。
だから前進というのは、休暇を取ってアクティビティーを楽しむことも含むのかも。
新しい事をどんどんして新しい刺激を補充していく。
すると充実感がある。俺の場合はそれが散歩でいろんな街に繰り出すことだった。
引きこもり時代は停滞していて不幸せだったが、外に出たらその不幸せから脱出できた気がしたが、外の世界にいる他人と比較することで新しい不幸がもたらされた。
しかし、他人と比べられるになったこともまた新しいことを経験したということ。
引きこもっていたら比べる対象もなく、自分の不幸せに疑問を抱くこともなかったかもしれない。
逆に言えば外に出なければその不幸せは感じなかったかもしれない。
しかし、出てよかった。漠然とした気分の悪さは引きこもりをやっていると感じざる終えないから。
まぁ、これまで停滞しまくっていた人生だから、これからは色々やってみようと思っている。せっかく今年外に出たし。
例えば、簡単な資格(乙4とか)や普通免許(国家資格!)を取ったりすることもまた小さな勝利だ。
人生短い。金子さんのように忙しく動き回らないと。今まで停滞していた分を取り戻すわけじゃないけど、小さな勝利を刻んでいって小さな達成感を積み重ねて自信をつけようという前向きな気持が自分の中で芽生えはじめているのは否定できない。
(取り戻すという表現はあまり好きじゃない。例えば株で損失分を取り戻そうとするとさらに悪い結果になるという格言を連想する)
本もさらにたくさん読む。
本を1日一冊いや、一節読むだけでも小さな前進だ。
なんか最近説教クセェな俺。