クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

いざというときに助けてくれる親がいなくなったら

コンプレックスの脱却とか書いていたが、別に完全に脱却できたわけではない。

 

コンプレックスが気になりすぎて外にも出られない病的な状態から脱却できたに過ぎない。

 

人より少しばかりコンプレックスレベルが高いくらいのレベルまでに回復はした。

普通の人はコンプレックスの1つや2つ普通にあるだろう。
それを背負って普通に生活している。


そう思うのは、もしその人が病的に病んでいたら普通に生活できないから。

高学歴・いい会社に入るとかは努力次第でなんともできるが、生まれ持った体格や顔はどうしようもできない。


しかし、あのオードリーでもエラやぼっきゅっぼんじゃない体型にコンプレックスを感じていたというもんだから、この世にコンプレックスを抱えていない人間など存在するわけがないと思ってしまう。

 

俺は不運にも生まれつき背負った業が人より多い。
最近コンプレックスについて色々と考えて、改めて過去を振り返って見ると、五体満足で産まれてきただけマシだろうと言う人は少し無神経だと思った。
それこそ、お前に俺の何がわかると反駁したい。
この世には俺よりもコンプレックス絡みで虐げられてきた苦労人もいるはずだ。
ニコ生のぽんちゃん(検索グロ注意)というサンプルが実在する。

俺はコンプレックスの大きさや数が人よりちょっと多いだけ。


今はそう思っている。
そう思わないとやってらんない。


経済力が他のひとより圧倒的に不足している俺はこれから備えないといけない。
両親の晩年、死後の後ろ盾をなくした後の世界を。
いざという時に両親を頼ろうと画策している。


だが、親も若くない。
最後の砦が崩落した時に、いよいよ自分しか頼れなくなる。
血族以外の知人が存在しないとそうなる。
しかし俺は疑心暗鬼で人間不信である。


だから、人に心など許さないだろう。
子供の頃に大きな裏切りを経験しているとこうなってしまうんだろうか。
近づいてくる人間は俺をカモと思っていると思うし、そもそも俺に近づいてくる人間にまともな部類に仕分けされる人間はいないだろう。


ダメ人間のもとにはダメ人間が集まるという法則は類は友を呼ぶと言われているし、とあるニコ生主の黒歴史を聞くにあながち間違ってもいないと感じた。


いざという時に助けてくれる知人は作ることはできないだろう。

しかし俺は一方で自分のことを自分ひとりでは何もできない部類の人間に仕分けされると認識している。


事実、今年の目標(バイト、プログラミング、資格)は何一つできていない。
自己啓発書みたいな本を読んでも野心に火が点かない。
収入を増やすことより、支出を減らすベクトルに執念を燃やすタイプ。
何事にも消極的、基本インドア。
アウトドアで積極的な暑苦しい短髪マッチョとは相容れない。


自分ひとりじゃ何もできない人間が、人の助けなしに生きていくことはできるとは思えない。
自分が変わって一人で全部できる人間になるしかないだろう。もしくは、開き直って人を丸め込む人間になって、人を利用するか。


後者で思いつくのはホストとか。
何れにせよ、容姿端麗に産まれた身ではないので絵に描いた餅に過ぎない。
よって、自分が変わるしかないということになる。