思えば
若い男嫌い
若い女嫌い
じじい嫌い
ばばあ嫌い
俺全部嫌いじゃん。
ついでにガキも嫌い、赤ん坊もうるさいから嫌い。
なんだ当たり前のことなんだ。
お前ら嫌いだオーラが隠しきれてないんだろう。
みんなフラットなのに一人だけヘイトを撒き散らしているわけだから。
だから俺の隣には誰も座ろうとしない。
最後まで隣が埋まらず、癖のつよい地雷が座る。
ああこのパターンね・・・何度思ったことか。
道を知るためにたまに話しかけてくる人はちょっと鈍いのかもしれない。
どうやったら食わず嫌いを治せるんだろう。
イキってる若い男と小汚いジジイは特に嫌い。
喧嘩売られたり、喫煙者率が高いから。
女に対するものはババアは気持ち悪い、若い女は構ってくれないから嫌い。要するに拗ねてるだけ。あと、あざとい(男を金づるとして利用、夫の稼ぎをチュルチュル吸って平日は外でお買い物のお気楽人生)人間という先入観。
でも俺は彼らの何も知らないのだ。
外から見える印象だけ。
話したこともない。
食わず嫌い。
悪い見本を一般化して嫌いになってる。
陥りがちなのかも知れない。
こう誰とも関わらない日常の人間はこういう思考に。
普通の人はある程度サンプルのストックがあるから、偏りがそんなにない。
いい人間もいれば悪い人間もいることを肌身で知ってる。
これがフラット。
でも人との関わり、会話がない俺は外だけしか見れない。そして、悪いものだけがやたら印象に残る。
そして漠然と「人間=いけすかないやつばっか」という等式ができあがる。
こういう生活もいいかもしれない。
気楽だ。
でも、俺以外の見える人間を見た時にいらんストレスを感じる。
これは損に思う。
だって街に散歩する度にイライラすんだから。
うすっぺらい関係でもいいからある程度自分の時間を他人に割いたほうが逆にいい感じかもしれない。
少しでいいからフラットに近づけていく。
逆に世の中いい人ばかりと根っから思っている人っているんだろうか?