クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

埋めるものが違うだけ

 

スーパーからの帰りの夜道。
顔は見てないけどいい女オーラを発している女と男の若いのが横断歩道を渡る。
その近く、俺の前を歩いていた50間近というくらいの寂れたおっさんが寂しい背中でスーパーの袋をぶら下げてさっきのカップルを見てガッデムしてそうな顔つきで早足で歩いていた。

 

もちろんその寂しいおっさんをオレは知らない。
だから、想像でものを言っている。
きっとあの歳まで結婚もできずに気づいたら取り返しのつかない年月を経ていた。後は嫁もいないまま人生を終えるんだ・・・というように俺の目には見えたが、妻も娘もいるかもしれない。

 

そんな光景を目にしてふと思った事があった。

それは、人というのは孤独や寂しさといったものを何かで埋めている。そして、ただ埋めるものが人それぞれ違うだけなんじゃないかと。
そして誰もが埋めたいと思っているんじゃないかと。

オレは今友達も恋人も頻繁に連絡するような家族もいないが、それなりに充実した人生を送っている。
強がりじゃない。


以前は自分の欠けている面をクローズアップしては凹んでいたものだが、なんかいつの間にかその凹みが回復したような感じがする。

それは欠けているものを埋めるピースを見つけたからかも知れない。

普通の人にとっては、友人だったり、恋人だったり、家族だったりとコミュニケーションできる人間なのかもしれない。
そういうもので孤独なりを埋める。

 

俺の場合は、その代わりとして、動画(加藤純一、横山緑等)や漫画(ジョジョとか)で埋まる。
埋めるつもりは無くても埋まる。
ずっと動画や漫画を見ていると1日が終わる。
特にその間、ああ、孤独だとか寂しいとかは思わない。

 

別に孤独や寂しさを埋めるものが人と違うだけ。
何も卑下することはない。

 

しかし、埋めるものが異なる人と接触し、比較的長期に渡り交流する(バイトととか)になるとその根底がぐらつくかも知れない。比較が入るから。

 

完全に分けるという手もある。
バイトはバイトと割り切り、無感情。
自分の可処分時間でこれまでどおりの動画と漫画を見る。
バイトしている時間だけ今の生活から無くなるだけ。
何も変わらない。

 

しかし現実的にはどうなんだろう。
社会に出たことがないからわからない。
まぁその時の状況に合わせてその時の俺が決めることだから今の俺は今の生活を送るだけでいいな。