何も成長してねぇなぁ~
1年ブログ書いててそう思う。(まだ1年経ってないけど)
1年前から書いてることは変わらない。
思い出、愚痴、妄想。
平たく言うとオナニーだ。
周りにお役立ち情報をちょろっと書いて小遣い稼ぎしてみようみたいなアフィリエイトにも手を出したが、面倒だしそれ自体つまんなくてやめた。
結局、1年続いたのはこのオナニーブログだけ。
成長してません。
1年前と何も変わってません。
でもなんか癪だ。
なんかこうなってくると成長についてアンチテーゼを唱えたくなる。
成長したらいいんだが、別に成長しなくてもいいんじゃね?
てか成長ってなんだ?
1年前の自分と比較して現在の自分がより前に進んでいるという状況か?
そう考えると俺はまるで成長していない。
例えば引きこもり明けからもう1年半が過ぎようとしてるが、1年以上1日に数十キロ散歩をしたが自分が成長したという感じはしない。
結局、外界との接触なしに成長は感じられないということがわかった。
これもまた成長か?
というか外界と接触して揉まれれば成長するんだろうか?しそうな気はするが、実際にやってないので適当だ。
でも外でだべってる連中見てると、コミュ障な感じはしない。
あ、成長ってマイナスをゼロに持っていくのも成長か。
だとしたら俺に足りないものを埋めていくのも成長。
そのうちの一つがコミュ力。
それを鍛えるには外界との接触。
人とのコミュニケーション。
オナ文(内容がオナニーな文章)を書いても、筆力が上がった気がしない。むしろ停滞とか限界というものをひしひしと感じている。
オナニーは成長しないということがわかったこともまた成長なのか?
小説でも書いてみるか?
小説もまたオナニーであるが、自分語りのオナニーよりもオナニー度は低い。
しかし、自分以外のもんを材料にして料理を作るとなると、ボッチ歴ニアリーイコール年齢の俺は他人サンプルが少なすぎる。他人サンプルがない俺はゼロから架空のパーソナリティーを生み出さなきゃならない。無から有を生み出すのは出産だし、痛いし、やりたくないし、そんな苦労して生まれたものには説得力まるでなし子。
結局、自分と親しい誰かを材料にしたほうが産みの苦しみ的に安上がりな上に説得力としての人間味がある血の通った架空の人物となりうるから、俺の小説はどこか地に足ついてない駄作になるうることは容易に想像可能だ。
このブログのネタも他人を含ませることで多元に広がるし、小説もおもろくなる。
でも、自分語りで構成されたブログがなぜこうも続くのか?ネタ被りとかは棚に置いとくとして。
それは俺の自分語りは素材を調理せずダイレクトで出すという面がそういう他人サンプルを要しない点で楽。面倒じゃない。だからスムーズ、なので続く。
あとは、読者を楽しませようとは一切考えないことだ。それはオナニーではない。
今日もまた駄文を書いてしまった。
一生成長しなさそーだ俺。