デール・カーネギーの「道は開ける」に、五体不満足の人が快活に挨拶をしていたのを見て、なんてことないことで悩んでいた自分があほらしくなったというようなことが書いてあった。
これは一種の下と比較して、自分を慰めるパターン。
こういう慰め方はよくある、自分より下がいるじゃないか、まだマシじゃないかという思考。
ふと思ったが、下と比べて慰められるということは、逆に言うと上と比べたらその逆になって、落ち込むという至極当然なことのように思えてきた。
下と比べると幸福になる。
上と比べると不幸になる。
簡単に言えばこういうこと。
でも、下と比べて自分の幸福を確認するテクニックばかり使用していると、表裏一体ともいえる上との比較で打ちのめされるのではないかとも思える。
だから、上がどーのこーの、下がどーのこーのという比較の世界で自分を捉えているとそれには限界がある気もする。
いつからか下と比べることはなくなった。
それは、自分が最下層に落ちたからだろう。
上がとんでもない数がいるため、街を歩けば上ばかり。そいつらと比べて不幸になるというシステムが構築されている。
だから、自分は自分、他人は他人という新基軸でやり直す。
それが今の俺のような気がする。