今日の帰宅の道、雨ザーザー振り。
俺は横断歩道を渡った先で信号待ちをしていた。
ランニング姿で酔っているのか知らんがちょっと頭がおかしい感じでブツブツ何か文句を言っている老害の方が俺の後ろを通り過ぎた。
その時に俺のリュックに思っきし当たった。
しかし、老害の方は我関せずでぶつくさ言いながら暗い夜道に消えていった。
きっと彼は不幸なんだろう。
不幸故に心に余裕がない。
余裕がないから自分のことしか詰め込めない。
パンパンで赤の他人を詰め込むスペースが一切ない。
だから配慮しない。余裕がないからできない。
あれは俺だと思った。
俺は彼の後ろ姿を睨みつけることすらしなかった。
心の余裕がない俺でも一応自制することができた。
あの人について負の感情を向けるだけ損だと。
去年ハロウィンの渋谷DQNに対してこれができれば大したもんだと思う。(ハロウィンの日に渋谷のクソガキにこバカにされた事件。去年は未熟さ故に自制できずにブログで1日に10記事近く連投して憂さ晴らしをしても怒りがおさまらなかった上に挙句の果てには泣いた)
俺が人混みでイライラしてやまないのは心に余裕がないからなんだろうきっと。
それなりに自分に自信があり、生活も比較的安定していて、パートナーと一緒だったらここまで苛つくことは絶対ないだろうと言い切れる。
特にパートナーの存在はでかい。それが女でも男でも。
周りが全員カップル、ファミリーでグループを形成している中、一人(いつも例外なく一人)つーのは村八分も同然でフラストレーションはどうしても溜まってしまう。
これを自分一人の力でどうにかできれば一人前だと思いたいが、こればかりは方向性が間違っているし、自分がパートナーなりを作って普通に寄せていったほうが自然。特に土日祝の街ではそれがスタンダードだから。
そう考えると、友達や恋人がいるだけで一人よりかは自動的に心の余裕ができるのかもしれない。
(タイトル付けに失敗した感あり。)