1年ぶりくらいの【こじらせ童貞】シリーズ。
↓これまで書いたクソ記事
(うん、1年前から既に重症だ)
(この頃はセックルセックル言ってたんだな。今は性行為としか言えない・・・)
(タイトルのこじつけ感)
(いや、そんなことはないだろう)
(変えれば楽になれるっぽい)
(イケメンにすら興味がなくなった)
(気持ち悪い)
(んなばかな)
(それにしてもひどいタイトルだ。女性団体に訴えられそう)
(といいつつも街で彼女な人を見る度に苦しみます)
(これまた覚えたての経済用語を無理やりタイトルにつけた感)
・・・前置きが長くなった。本編に進もう。1年ぶりの新作。
まず俺はひねくれ童貞指数が非常に高いことを自負している。
そんな俺だが、街を歩いていて信じられないことがある。
子連れの人たち。
子供という証拠がある以上、体外受精とかそういうのは置いておくとして、夫婦は性行為をしたことに間違いはない。
それが信じられない。当たり前が信じられない。
AVとかで見るあんなにエッチなことを当たり前のようにしているのだ。
↑こんなことをしてるんだぜ。一体何を考えているんだろう。
しかも中に出している。
動物じゃん。
チーズはどこへ消えたじゃないけど理性はどこへ消えた!?
でも人間一日中人間づらしてるのもストレスが溜まるし動物的行為をするのは悪いことじゃない。夜の営みを長年続けている夫婦の寿命はセックスレスの夫婦より10年くらい長いと昔なんかの科学番組で見た気がする。
カップルと違って(カップルも裏では間違いなくやってるんだろうけど)証拠もある。子供という証拠。決定的な証拠。私達はあんないやらしい行為を確実にしましたよと宣伝しているように見てしまう俺はどうかしていることは自分でもわかっている。こんな見方はしたくない。苦しいし損なだけだし、子供について性行為の証拠品などという味方をする自分がただ単純に気持ち悪い。ひたすら気持ち悪い。そんな自分に自己嫌悪を感じる。
そんな母親が不倫をして性的快楽のために若いと背信の性行為をしていたとしたら、もし子供の立場だったら許すことはできないかもしれない。
生理的に気持ち悪すぎて。
しかもこの世の中そんな気持ち悪い人たちが少なくない。
幸い俺の両親は単純一途な強化系の性格なのか浮気沙汰を起こしたことはない。
でも俺も両親がそうやって生まれてきた存在なのだ。
生殖というのは新しい命を生み出す。
無から有を、新たな生命を生み出すという神秘的な行為なのに。なぜこんなにも汚らわしいものだと思ってしまうのか。
思い当たるフシはある、レイプとか性犯罪絡みの事件。被害者の生々しい告白。それとポルノ。
全部性行為をすると性的快楽が得られることに起因している気がする。
ポジティブ要素である命をつなぐ神秘的な行為の側面にネガティブ要素である単なる性的興奮とかいやらしさとか邪(よこしま)とかの成分がべっこり粘着している。
でも性犯罪じゃなく、互いに同意があれば性行為自体は何も悪いことじゃない。法律的には。
ただ仏教とかでも不邪淫という戒めがある。
こういう戒めがある事自体が逆に性行為をいやらしいものたらしめている気がする。
しかし、今ネットで調べたら邪淫というのは、夫婦以外の者と肉体関係を持つこと、もしくはそれに至るおそれがあるような行為全般を指すそうだ。
あれ?これって不倫じゃん。
不邪淫というのは性行為をやりすぎないようにというものだとなんとなく思っていたけれど、そういうことらしい。確かに字面を見ればそうか。だから、別に結婚していなければOKのようだ。不淫ではないから。そう考えると不淫というのはオナ禁とかエロ禁という禁欲行為なんだろう。
それにしても、もしも生殖行動、性行為に快感が伴わなかったらこの曲がってしまった性に対する印象を矯正することができるのだろうか?
他の人達が苦しまないところでひたすら苦しんでいる俺は損だ。
余談だが、性行為は男より女のほうが気持ちいいのではないかと思う。(女になったことはないからなんとなくだけど)もしも、女が男以上に性欲の強い生き物だったら、もしそういう個体の女がいたとしたらそりゃもう気持ちよくてたまらないだろうなと思うことがある。ただ、女はババアになってからのほうが性欲が強くなるらしい。だから性欲が奔放なおばさんは怖い。でも若い女よりは緊張しない分だけ話しやすい。でもそんなことを考えると話しにくくなりそうだ。そんなことを言っている俺もいつの間にか若い男からおっさんになってしまった。もう怖がる必要はない。