アッドホームダッドな人がブログを更新していた。
テーマは電車内の赤ちゃんと母親と周りの人間。
(コピペしないのはこのクソブログが相手方の"言及の一覧"に載ってしまうから)
少々耳が痛い。
はい、子供嫌いです。
犬は好きですけど。
俺も間接的に心理攻撃をしたことがあったかもしれない。
うるさい子供が電車に入ってきた時にさっと席を立ち他の車両に移るだけだけど。
その時、親は何を思うんだろうか。
その前からイライラしていたら、精神的余裕のなさ故いやしいことに舌打ちを含む場合がある。これは流石に大人げないと思うが、基本的には子供の足が軽く当たってもいなせるくらいの感情抑止力は持ち合わせていると思う。
家に引きこもっているとそういう連中に出くわさないというメリットがあるなとここ最近感じている。
正直、多分周りの人間からしたら電車に泣き叫ぶ赤ん坊とかガキを連れて乗ってくる人は迷惑。
だが、向こうの立場からしたらそんなこと知ったこっちゃないだろう。
そういう法律もなし。言えることなど何もないのだ。
ラブラブカップルに公共の場で堂々といちゃつくなとも言えないことと一緒だ。
それに俺も子供の頃にありとあらゆる場所で大勢の大人に迷惑をかけた過去がある。
電車はみんなのものだからしょうがない。
しかし、絡んでくる人いるんだね。とくに年配の人と言っていたが、いい意味で話しかけている年配の人とかは割と見たことがある。
基本同じ空間にいる人はうるさい子供に対して嫌悪感を感じているだろう。
それに反応してしまっては負けだ。
社会のルールでは正当行為だから。
どんなに赤ん坊が車内で喚き散らそうがしつこく泣き止まなくてもそれに反応したら負け。先に手を出したほうが負け。先に殴ったほうが逮捕というのに似ているかもしれない。
大人はイライラをコントロールできるけれど、子供はコントロールできないというのも当たり前なんだが、言語化されてなるほどなと思った。
子供に感情のコントロールを期待することができない。
にしてもアットホームダッドな人のブログは良いブログかもしれない。
前にも亀戸でこの人のブログのことを思い出してイライラを回避することができた。
子連れって大変だから、まーしゃーないわなと。
想像というか相手の立場にちょっとだけアクセスできる。
多分彼は俺とは立場も性格も正反対の人。
そういう人とは正直相容れないけれど、対極故に逆に興味をそそるというのものある。
(しかしやや被害妄想気味なんじゃないのと思うのは気のせいだろうか。親という立場になったら様々な事象に過敏になってソウイウ傾向になってしまうのかもしれないと自分の親を見て思う)
ただ、イライラをコントロールできるのも余裕が必要なんだよな。
カネに余裕がある人間とカネに余裕がない人間とでは心の余裕にも差があるだろう。
あとは、もともとイライラしているところに、新たなイライラがダブルでくると気が狂ってイライラのコントロールが非常に難しくなる。こういう時に舌打ちとかしてしまう。
ダサいというか心にゆとりがないんだろう。それがダサいのか。
多分、子供とその親に絡む人はきっと腹の虫の居所がわるかったんだろう。もしくは、もともとイライラ耐性が少ない人かもしれないし、心に余裕がない経済力が低い人なのかもしれない。
基本的にいついかなる時でも感情を抑制することができるのが、俺の定義するまともな人だ。(俺はよくまともな人まともな人というけれど、人間と関わったことがほぼないので、想像となる)
そのためには様々な余裕が一定水準以上必要。
じゃないと、"無理が入る"気がする。
私生活が充実している人はそんなことにナチュラルに目くじらは立てんと思う。
一方俺は私生活は全く充実していない。
だから俺はギャーギャー地帯に踏み入れた時、無理して耐えていた。
それをガマン大会と形容していた。
ガマン大会で好成績を残すためには、奪われた意識を取り戻すのがキモだと思う。
うっせぇなぁ~とイライラしている状態は意識を奪われている状態だ。
それを取り戻す。
そのために本の世界に閉じこもったりする。
そしてだんだん自分の手の内にある意識の割合を広げていく。
そうやって俺は皮膚科のガマン大会で優勝した。
だって、優勝でしょ。
こんな心身ともに貧乏で余裕が全然ない無職の男が、文句の一つも言わないどころか眉一つ動かさずに1時間呼ばれるまで魑魅魍魎うずまく待合室でおとなしく待っているのだ。
相対的に優勝。
まとめ:
赤ちゃんに対して言えることなど何もないのだ。
だからガマン大会で優勝することを周囲の人間は目指そう。
というか、いい年こいて車内で乱痴気騒ぎしている大人こそ駆逐粛清されるべき筆頭株なんだよな。(まじでクソうるさいドキュン軍団とか極稀にいる)