今までは、このまま一生一人やばないの?
という焦りが常に頭の片隅にあり、無職ライフを楽しめなかった。
ただ、1ヶ月引きこもり同然の生活をしてみて一人で案外楽しめるじゃんということがわかった。
「どげんかせんといかん」と義務感を感じていたが、それは意味がなかった。
俺はそういうことができる人間ではないということを忘れていた。
自分から行動することはなく、誰かにケツを叩かれたり背中を押されないと動かない人間。
一人じゃ何もできない人間。
典型的指示待ち人間。
1年経って自分が何も変わっていない事実と、1ヶ月の引きこもりぼっちライフを満喫できたことで俺という人間を再確認した。
人並みに合わせること。
そのために今までのクズな自分を完全に捨て、そうなれるように努力するということ。
それをしない。
それは逃げと思われるだろう・・・
今まではこんなふうに文章を続ける流れだけど、逃げとかそういうのはどうでもいい。
ただの「選択」だ。
逃げるも努力するもただの選択。
俺は、人並みよりもぼっちが精神的に楽だと判断した。
ただ人並みについての体験を満足に経ていないため、比較すること自体の前提条件は揃っていないが、
まぁそれも含めての「判断」だ。
これは人は愚かと思うだろう。
でもそれは、人並みの幸せという目標に対しての後ろ向きな態度への非難だったりするわけで、人並みの幸せというものは結婚して子供育てて・・・みたいなバイアスがかけられたものだろう。
「動物的本能からしてそれは当然である。だから本能を押し殺さず負えない境遇にあるあなたは不幸で、それを改善しようとしないあなたを私は非難する。」
という人もいるかもしれない。
最もだと思う。
今まではそう思っていた。
でも、
「それってあなたの意見ですよね?」
と今は返すかもしれない。
その「あなたの意見」を持っている人が世の中にいるほとんどの人だと思う。
だからそれが人類普遍の正解だというレッテルが貼られている。
結婚はめでたい。
おめでたは祝福されるべきこと。
子宝という言葉。
のようなもの
そして大半の人々がそれ(人間としての動物的な幸せ)を手に入れている。
さらに年齢を重ねるについてそれを手にする人間の母集団が増えていく。
少数派は駆逐される。
だから、いい歳こいて結婚できない人たちに対して哀れむような、どっかおかしいんじゃないかというのが世間に存在する。
確かに多数決では圧倒的にあなたたちの勝ちだ。
昔に比べて今は緩和されたほうだが、それでも統計を取れば30代で結婚している人がほとんどという事実。
当然ながら街で見かけるグループ構成もそれを踏襲したものとなる。
そこで俺は常に自分と周りの人々を比較していた。
他人がどう思うかというのを気にしていた。
(おそらく意に介していやせんだろうが。)
また、平日に散歩するときにエア出勤スタイルで都内を歩こうかと夢想したこともあった。
浮かないようにという表向きの理由とは裏腹に一般的な同世代と足並みを揃えたいという気持ちが隠れていたのかもしれない。
もう俺は30半ばだ。属性はパパがデフォルトというべき年齢。
先程の「刷り込み」がまず俺の中に前提として染み込んでいて、同世代との比較で刺激される。
結婚の前提に交際がある。そして彼女ができれば普通は性行為に及ぶわけで、それが30を越えてもできていないことに対する焦燥感、他のやつはできているという劣等感、いらだち、なぜか女の方に伝播して一向に相手にされない女という属性に原因不明の嫌悪感を募らせる。
そういうネガティブな感情は現在のみならず過去にまで及ぶ。
回収する術がない「失われた青春」に対する嫉妬。
高校生カップルを見れば、「高校生という人生の一時期に異性と交際していやがる。俺が望んでも手に入れられなかった過去だ・・・」と羨望と落胆の眼差しを向けるし、大学生カップルを見れば、「大学生なんてニートみたいなもん。テラモラトリアムな4年間をフルで回しやがって・・・俺はぼっちな上に半ヒキでコミュ障コンプ持ちだからできなかった・・・」などと思う。
それにしても行くところまで行くと小学生の時に処女と童貞を捨てているのもいるらしい。この「格差」はいったいなんなんだろう。どこがどう間違えばそのコースに飛び移れたんだろうね!
何かと忙しい日々だった。(アホ)
今まではそういう心境でいられる環境を手にしながら未来の恐怖を仮想していた。
しかし、なんで将来の心配を今背負ってんだという話だ。(背負うのはあくまでも心配とか不安とかで備えるとか準備することを放棄するということは含まれない)
そのときに背負えばいいので今は現在なのに未来を背負うのはダブルで荷物を背負うようなものなので(今の心配をしながら、将来の心配も同時にする)重いし、無理することなので、神経症になるかもしれない。
多分『道は開ける』の「明日のことで思い悩むな」というのはこうことだろう。
今は割と自然にぼっち生活を受け入れている。
それは、個人的にぼっちな楽しみが気に入っているからである。
(毎日なじみのゲーム実況者や生主の動画を見ては大笑いしているし、プログラミングとか英語とか数学とかやらなければいけないことも山程あり、他人に時間をくれてやる余裕がない。そしてそれを楽しいと思っている。他人と比べてスローガンのようなレッテルを相手にしなければ卑屈になることもない。)
だから、人恋しくてみんなと一緒に遊びたいのにそれができずに不満を抱えているという方にはこの生活は全くおすすめできない。
ただ、仮に社会で働くとなると、多分こういう心境ではいられなくなるだろう。
どうしようにも周りとの比較がつきまとい影響されずにはいられない。
今だからこそこういう心境でいられる。
これも無職の特権である。