世の中の楽しそうに街を歩いている人たちに向かうヘイトの正体というのはきっとコンプレックスなんだろう。
いや、コンプレックスを大げさに捉える気質ともいうべきか。
まるで自分が世界のどん底のように思えるとても残念な才能が俺にはある。
そして居場所のない社会に背を向けて去っていった。かつての三井寿(スラムダンク)のように。
引きこもりを脱して昼間に街を繰り出すようになり来年の1月末で2年になる。
長時間散歩するたびに、街を歩いているカップルを見ては嫉妬のような感情を抱いていた。
心がポカポカするんだろうなぁ~とか、恋の駆け引きとか楽しそうだなぁとか、愛のある性行為できるのいいなぁとか思っていて、それが叶わないことに対する憤りを感じているものだと思っていたけれど、(それもあるが)それは表向きの心理で、奥底ではコンプレックスがビンビン脈打っていたんだと思う。
俺がコンプレックスによりやりたくてもできないことができている人達に対するヘイトだったのだろう。
コンプレックスを大げさに捉える気質が元凶。
つまり逆を言えばコンプレックスさえなければ、叶うと思い込んでいる節もある。
自分が恋仲になれるチャンスがあったとしても、おそらくこのコンプレックスが拒絶反応を示し、逃げるだろう。自分への自信のなさと言いかえらえるかもしれない。どうせ俺はまともに人と付き合えないんだ・・・と、どうせが口癖の変わる前の甘粕四郎状態(天国に一番近い男)。
その一方で、一生このまま一人でいいのか?なんとか恋愛の一つや2つしないと一生後悔するんじゃないか、でも動けない。コンプレックスを大げさに捉える気質が邪魔をする。
あれ?お前手術してコンプレックス克服したんじゃね?
熱心にこのクソブロを見ている人たちはそう思われるかも知れない。
だが、マシになったけど完全じゃないので、名残のようなものがある。
また、コンプレックスというものは数に際限がないようで、一つ潰したらまた一つ出てくるというものらしい。全く新しいところから出てくるんじゃなくて、2番手3番手に控えていたコンプレックスが台頭して膨らんでくるみたいな感じだ。
ということで依然としてコンプレックスは抱えている。
コンプレックスを大げさに捉える気質も健在。
だが、もう面倒くさいので、とりあえず恋愛とか人と関わるのを諦めたのが最近。
無理なものは無理なのだ。
少なくとも今の自分には無理。
これから風向きが変わる保障もないが、それもまた自然の流れので、逆らわないようにしよう。そのほうが楽だという感じで今生きている。
やりたいことをやればいい。
楽しいことをすればいい。
欲しいものを求めればいい。
美人や巨乳の彼女が欲しい人は当たって砕けろでナンパしまくればいいし、普通の恋愛がしたい人は自然の流れに身を任せればいいし、諦めた人は別の楽しみを見つければいい。
他人とのコニュニケーションが皆無というのもコンプレックスを大げさに捉える気質に影響していると思う。相手も自分と同じように考えているに違いないという思い込み。
結局はいろんな人と関わってみないとこの厄介な気質は退治できないのかもしれない。