他人の損を期待してしまうのはなぜなんだろうか?
他人の得も面白くないと思ってしまうのはなぜなんだろうか?
ざまぁみろ・・・
とまでは思わないけど、相手の損が自分の得になったわけでもないのに漠然とそういう下衆な感情がちょっぴり顔を覗かせる。
人の不幸は蜜の味で、人の幸福は青汁というのに通じるものがある。
おかしいのか?
メルカリで「こんな値段で出品したら損するんじゃね」というものをちょっと買いたくなるような気分になるのはなぜだろう?(送料込み500円のもの出品して600円送料かかるからこの人100円以上マイナスになるな・・・とか)
事実そういうものを最近購入した。
相手損するんだろうなぁ~という気分で買った。
しかし、宅急便とか定形外で送られてくるとおもったら、ゆうパケットで送られてきた。ぎゅーぎゅーに詰め込んで。これは相手はマイナスにはならない。
正直、なんか面白くないな・・・と漠然と思った。強くではない、程度はほんのり・・・といった程度だ。
逆に自分がそう思われてるようなこともあった。
俺は売りに出した。
ズボンを。
理由は大きすぎたから。
手数料+送料分を加算した金額で出品。
購入される。
え~そんなことでクレーム?っていうような中古品ではそーいうこともあるよねーみたいな些細な理由でいちゃもんをつけられた。で、確認したの?と言われ、気づかなかったので正直に入手からの経緯を説明。
それから数日音信不通。今日連絡があり、ちょっとまけてよと言い始めた。俺とのやりとりの文言から入手価格を調べてそれをエサに値引きを要求してきた。
あとあと面倒なので小額値引きするために、相手に出品させたりと面倒なことをした。しかし相手はこれまでの音信不通が嘘かのように、手慣れた手付きで超スムーズに一連の返金作業を終える。そして、満足したように無言で数日押されなかった受け取りボタンを押して帰っていった・・・。
転売して利ざやを稼ぐという気はなかったため、とんとんで売ったつもりが若干損になってしまった。
相手は満足していただろう。
こちらが確実に損をしたから。
思い込みかもしれないが、様々な感情の中のそういう成分がきっと含まれているはず。
しかし、みみっちいなぁ。
スケールが小さい。
不健康などケチ。
前田敦子がロボットになるドラマをやっていたころ、ヤフオクで間違って購入しましたと、6000円ただでよこした人がいた。後にも先にもこんなことはなかったが、その人にとって6000円は気軽に溝に捨てられるような金額なんだろう。
そういう人にわたしはなりたい。
なれるもんなら。(=無理)
せめて健康などケチになりたい。