色違いというのが何十分の1かの確率で出る。
それを出したいなぁ~と思っていた。
でも出さなきゃ・・・みたいな感情に転化しつつあったのも否定できない。
上手いこと手のひらの上で踊らされているような気分だ。
結果は、失敗だった。
目的は色違いをゲットすることだから、その目的が達成できなかったということは失敗だ。
でも失敗のはずなのに、なぜか清々しい気分だ。
結果は失敗だったけど、やりきったという達成感はある。
その達成感で清々しい気分になっているんだろう。
でもなんなんだろうね。
失敗した時、めっちゃ凹む時と今回のように清々しい時の2パターン大まかにある。
違いはなんとなくだけど、他者の存在なんじゃなかろうか。
自分のしでかした失敗により他者に迷惑をかけてしまった。
という自責の念。
この自責の念が失敗で凹む時のひとつなんじゃなかろうか。
ひとりで完結するときもこういうパターンに陥る人がいる。
きっと自分に厳しい人なんじゃないかと思う。
もっとできたんじゃないかとか問う真面目なタイプ。向上心の塊のような人。
そういう人は俺のレベルではやりきったなぁと感じる努力量でも満足できないんじゃなかろうか。
そう仮定してみると、その人はその人でちょっと残念な感じに思う。
理想が高すぎて、常に満足できないように見えるからだ。
一方で俺の理想はかなり低いと思う。
自分一人でとりあえず食ってければいいし、守るべきものは何もない。
プログラマーを目指すにしても、天才とかどうでもよく、むしろダメダメなプログラマーでもOK。俺ひとり食えるくらいの収入があれば・・・ みたいな感じだ。
でも、達成感のハードルが低いほど逆に得な気がする。
しかも数をこなせる。
小さな勝利のあれ。
無職で職歴なしで良かったと思える数少ない点の一つにプライドを捨てたということがある。ついでに身だしなみも。
他人からどう思われているかとかもう至極どうでもいい。
他人に興味もない。
価値観の違う人間だなぁくらいにしか思わない。
プライドを捨てたついでに、自分から無理して一般の価値観に寄せていくという無理もしなくなった。あとは一生ひとりでもいいや。他人からは寂しく思われるだろうけど、自分は別にそんなことを思わなければいい。一人でも楽しいことはいくらでもある。
これで結構楽になった。
話は戻るけど、失敗は他人を巻き込まなければ俺の場合基本OKな気がする。全然失敗してもOK。
そう考えるといくらでもチャレンジできそうな気がしてくる。なんせ巻き込む他人がいないわけだから。
自分の失敗は自分以外には波及しない。
ならもっといろんなことにチャレンジせいという話だわな。
チャレンジできない言い訳の一つにコストがある。つまり金。
多少の支出ですらチャレンジを阻む。
ここが無職の駄目なところ。金は常になけなしなので、少額でも支出は躊躇しがち。
外注とかしないで全部自分でやろうとしがち。まぁ、ひとりで無職だから時間はいっぱいあるんだけど。
ブログとかで月1万とかでも収入があるとちょっとは違うんじゃないかと思う。
とにもかくにも、やりきるというのが清々しい失敗の前提であるんじゃないかと思う。やりきらないと煮え切らない思いとかで清々しくなれない気がするから。