クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

このままだと遠くない未来死ぬかもしれん

 

一人で生きていくと決意してからもう8ヶ月くらい。

 

しかし、このままだとろくな人生じゃなくなるような気がする。

 

ここ最近、妙な病気に見舞われている。治らない口内炎のようなもの、増え続ける皮膚のブツブツ。

 

心当たりはあるような気がする。

それなんだけど、時たま孤独を感じるたびに胸が締め付けられる。

それが精神的にかなりのマイナス効果をもたらしているような気がしてならない。

精神じゃなく病気という形で表面にではじめた・・・

 

寂しさとか疎外感とか成分はいろいろあるけど、主なものは「哀しみ」だと思う。

常にどこかで哀しみを感じて生きている。というのが俺だと思う。

だから多分周りからしたら一人だけ哀愁漂っているから異質に見える。そんな感じなんだと思う。

 

しかし、このままじゃ大病待ったなしの予感がする。

 

生主のNERさんのお兄さんのブログが頭をよぎる。

今は品川区議会議員のNERさん(くにば雄大)のお兄さんはもうこの世にはいない。

若くして病気で亡くなられた。

病名は肺がん。

 

そのブログの中で肺は悲しみの臓器と言われているということを知った。

そして常日頃哀しみを感じている俺はこのままだと俺は肺がんになってしまうかもしれない。まじで。

一人で生きていくことは人間に生まれた以上厳しいんだろうか。

俺は無理して生きているんだろうか。

 

孤独死の確定している人生を選んだことになるんだが、死に際に俺は非業の死を遂げるような気がしてならない。孤独死=絶望的な死で有ることをイメージした。

 

そして今仮にがんと宣告されたら俺はどうするだろう。

受け入れられずまたなんで俺だけ・・・と運命のせいにする。

俺「だけ」ということは他人と比べている。

ここで他者との比較がまた出てくる。

 

というか常に他者と比較して劣等感を感じているというのも哀しみやストレスの要因。自業自得だけど。

 

最近は「比較しない」とか「価値観が違う」からレベルがあがって「関係ない」と他人に対して思うことになった。

どうやっても関係することはない人間だから素で冷酷になれる。

道でチラシ配りしている人をまるでそこにいないかのように完璧にスルーするようになってからどれくらい経つだろう。男に対してはきまぐれだが、女に対しては完全無視していた。そのたびにちょっと罪悪感や悪いことしたなと感じていたのが、それが当たり前のように自然に振る舞えるようになった。「関係ないパワー」は人間として何か大事なものを奪っていくようだ。

 

でもそれを続けてどうなるんだろう。

それを続けられるのはきっと「関係あり」を持っている人間たちに対するヘイトだろう。とてもエゴイスティック。進んでその道を選んだ(一人で生きてく道)のに平たく言えば街でグループで楽しそうにしている人たちに対してフラストレーションを感じている。感じないように頑張っているという点で無理していると言える。

 

彼らに向かう感情はどうしてもマイナスになる。

だから、優しくできない。なるだけかかわらないように意識しないように無理をする。

そうか。街を歩いている時俺はやっぱり無理をしていたのか。

それもそうか。人間世界では孤独な引きこもりは明らかに少数派。引きこもりなのに外に出ている俺は超絶少数派。無理が生じるのは必然。だからきついのか。

 

こんなことを考えさせられるのは外に出たのと学習ドクターを見始めてからのような気がする。

逆に他者と関わることを一切排除してひとり家で引きこもって好きなことをするというのが疑いの余地のないものだったならば、こうは思わなかったかもしれない。ああ、でもいつか気づくときがくるかね。それが幸せだと思っていたけど、その幸せもいつか終わりを告げるんかね。

 

学習ドクター。彼は俺と真逆の人生を歩んできた光の側の人間。普通の人より優秀なんだろうけど、周りの人と積極的に交流した結果、彼は他者からいいものを受け取った。そしてそれを返していきたいと真顔で言う。周りを楽しませたい、面白いと思ってもらいたい。視聴者のみんなと交流したい。

俺はそんなこと思ったことなかったな。

ただ最低限のお金さえ誰ともかかわらずに稼ぎたい。という内向きなもの。

幼少期の影響、もともとの性格や過去の体験とかもあるけれど、彼は他者との関係において小さな成功体験を積み重ねた結果今の彼があるんだろう。人柄がよく誰からも好かれそうな人間。それが学習ドクター。そして多分世の中の人間の大半は紆余曲折あれどそれなりに周りとの人間関係を回せてるんじゃないかなぁと思う。

 

小さな人間関係の成功体験の積み重ね。回数。数の暴力じゃないけど、多分小さな成功体験を積み重ねまくれば、多少の裏切りがあっても立ち直れるかもしんないけど(裏切らない友達も少なからずおるだろうし)俺にはなにもない。ただ小学生のころに裏切られたのと、中学生の時にコンプレックスに抗えず負けてしまい人間関係を放棄した経験しかない。高校の頃はコミュニティが比較的小さかったので相手にしてくれる人間もいたが、大学になると完全に誰からも相手にされなくなった。それ以降人間関係を放棄して今に至る。今に至り、これからもそれが続いていく。

多分貯金がつきて生活保護を水際作戦で防止され、嫌々どっかでバイトすることになっても結局人間関係を放棄して鼻つまみ者として扱われることだろう。「関係ない」を貫く限りは。

 

自分が変わらなければ。他人と関わることを受け入れないと。

・・・苦しい。

それは、30余年付き合ってきた今までの自分を捨てることと同義である。

もう一遍自殺するような勢いと覚悟が必要な気がする。

じゃないと遠くない将来病死する。

このごろこんなことを考えています。