町中、特に繁華街等の人混みが多いゾーンに入るとストレスで緊張状態になり、平常心でいることが難しい。
意識しないという言い聞かせがもう意識のはじまりで雑念が支配してくる。物理回避行動も平行してやらなければならず、先程の雑念への抵抗や代替処理等にも追われただ歩くだけでも心の中はかなり忙しい。
なぜこんなに疲れるのかというと、ただ一つ言えることは街中の人間を仲間じゃないなんなら敵だと思っているからだ。
もうこれは一歩間違ったら犯罪者。町の人間を敵だと思うのはいいとして、アキバの加藤を筆頭とする有名通り魔の仲間入りはしたくない。
逆に休日に単独行動をしている人たちに妙な仲間意識を持つ。
ただ、いずれにせよ休日を楽しむどころじゃない。
なんせ手を繋いで歩いている奴らを見るだけでげんなりするし。
今日は冷静に当面の問題への対処法を考えていた。
そして最も安定する方法が思いついた。
それは、修行僧モードに入ること。
最近はひろゆきの影響で楽観的な感じで時を過ごそうと思っていたが、俺は真面目で閉鎖的な人間なので家の中はまだしも外でその楽観状態を維持することはどうやっても無理。外で楽観的にいようとすると、楽観的な自分を演じている自分と本当に楽観的な他人とを比較してなんとも虚しくなる。敵に囲まれた状態で楽観的でいられるわけがない。ただただ居づらい。街敵に排除されるべきも存在も消費行為をしない俺だし。
最近の雑念払拭方法は「関係ない」だけど、ちょっと前までは「価値観が違う」だった。でもそれは嘘だ。認めよう。俺も可愛い女の子とイチャイチャしたいのだ。食欲、睡眠欲と同列に子孫を残したい欲求が並べられているくらいだから払拭するのがとてもむずかしい欲求だ。それが叶わないもんだから苦しゅうてしゃあない。
ぼっちで生きていくと決めたんだけど未練たらたら。でも現実問題俺の属性は金持ってない無職のおっさん。手に職、スキルなし。完全無価値。まぁもう若い女の子とイチャイチャすることは無理なわけです。こういうのが主な雑念の正体。
その未練を断ち切るための修行僧モード。これが最後の手。
雑念に支配されて発狂して死にたくなるような不幸を抱えながら生きるよりも心は俗世を離れた違うところに置いておいたほうが生涯不幸量は減る気がする。
そのモードになるためにはもちろん普通の人と同じ生活をしていては駄目だ。修行僧と同じ生活をしないといけない。少なくとも近いような生活。
まず、粗食、暴飲暴食はしない。規則正しい入院時のような就寝起床。家中の掃除を毎日する。オナ禁する。お経を唱える。座禅する。そして「ネット断ち」←これは絶対無理。全部は無理でも一部は可能だろう。
要するに自分を抑制するということだ。
もちろんエネルギーがいる。自然の流れに逆らうわけだから。
俺は豆腐メンタルのクズなんで実際に↑をやるかどうかは不明だけど、こればかりは実際にやってみないと自分がどう変化するかわからない。
ただ、今のまま欲望が全く成就しないカラッカラに干からびた心のままだと遠くない将来大病を患うことだろう。
ちなみに頑張って趣味にしようとしたプログラミングには全くハマれてない。
プログラミングにハマろうとするほど空回りして沼地のほうに飛んでいって今まさに泥沼にハマっている。
続いているのは一文にもならないこの愚痴ブログくらい。
でも最近なだらかにアクセスが落ちてきているから下手の横好きだな。
でも修行僧モードはこういう生き方(ぼっち)しかできない最後の手な気がする。