クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

2019年09月07日クソ散歩 ~アキバで男と男が手をつないで歩いていた~

アキバ→上野→帰宅

 

アキバで手をつないでいる男の子x男の子がいた。

少し考えてしまった。

単なる友情なのか。ホモなのか。

ということを。

 

男x女で手をつないで歩いているカップルは腐るほどいる。

女x女はどうだろう。たまにいるかな。

親x子はそれが普通。

 

女x女の場合あまり深く考えないけど、男x男で手をつないで歩いている光景を偶然目にした時考えてしまうのは偏見だろうか。

少しキモいなと思った。ただすぐに人の価値観は人それぞれであるように愛の形もまた人それぞれなのだと自分に言い聞かせた。

 

それにしてもカップルを見てもただ通行の邪魔としか思わなくなったな。

羨ましいとか夜に○○してるんだろうという下衆な考えも浮かべることさえ面倒くさくなった。俺にはよくわからないけど彼女ができたらするもんらしいけど。

 

女に興味がないと言っているやつに限って人一倍女に興味があるとか思っていたけれど、なんか誰にも邪魔されることのない自分ペースでの散歩をしていると、横に誰かがいて度々話しかけてくるという状況がすごい鬱陶しいものに思えてくるようになった。多分もう誰ともマジで関わり合いになりたくないと思っているのかもしれない。

 

 

 

一人がいいと言っている一匹狼に限って人一倍寂しさを感じているというやつがいるかも知れないけど、なんか最近は一人の楽しさがようやく真の意味で理解しつつあるので、もう俺は本当に他人とワチャワチャするのが嫌いなんだろうと思う。

 

他人とコミュニケーションを取る意味とか必要性に関しても関心がなくなっている。そういうコミュニケーションを通じて気づきとか発見とかがあるかも知れないけど、大抵はとてもくだらないクソみたいなどうでもいい話がほとんどだというのは街の住人の会話を聞いていて思う。

 

多分どうでもいいシチュエーションでのどうでもいいコミュニケーションには実りある何かというものは存在しないような気がする。それなら自分にはないユニークで奇抜な考え方を持つ人の雑談とかをYoutubeで聞いたり、図書館で本でも借りて読書でもしていたほうが有意義のように感じる。

 

もちろんそういうくだらないコミュニケーションが楽しいと感じるならばストレス解消なり気分転換なりになるからメリットはあると言えるけどね。

 

やっぱり格ゲーの対戦と同様である程度のレベルの人同士の会話だと自分を成長させてくれる気づきなりがあるんだろう。そういう存在が俺にはいないからイメージわかんけど。進んでそういう存在を求める気はさらさらない。

 

以上

1年前

 

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