好きなことで生きていく
は無理なので
苦じゃないことで生きていく
というライフスタイル
というのが最近気になっている。
人間関係だとどうなるんだろう。
あの人好き(人間として)と
あの人と一緒にいてもそんなに苦じゃないな
なんか人間関係だとほぼ同じ意味なような気がする。
あの人といて苦痛=嫌い
あの人といて苦痛じゃない=好き(好きか嫌いかでいうと好き)
知り合う前から嫌いな人もいる。
俺は路上喫煙をしている人は無条件で嫌いだ。
正確には歩きタバコをしている人(屋外に設置されている喫煙スペースで吸ってるはしゃーないと思っている)
副流煙というよりルールとか人の迷惑より自分の気分を優先する人間なんだという推定が働くのもあると思う。もちろん健康的にも毒ガスを撒き散らしている公害でもあるし。
でも友達になった人が後々にそういうタイプの喫煙者だということが発覚したときに好きが嫌いに変容していくのかが気になる。妥協するのか嫌いになるのか。
これは複数アカウントでのプレイを禁止する規約があるのにそれを守らず複垢やってるという問題だ。
これもなんか歩きタバコ問題に似てる気がする。罰則はなく(あっても軽い)各人のモラルに任されているという点で。
JASHとかゆずみん(ポケモンGOのユーチューバー)の友達が実は複垢やっていたと発覚してから態度を変化させたというのがある。以前は声高に複垢は悪だ!とか言っていたのに友達が複垢やっていたと知れるとあまり強く言わなくなったみたいな。なんならまぁいいんじゃないの人それぞれだしみたいな考えになったとか。
そういう風に俺が自分の考えを変化(喫煙者の友達を優先)するのか嫌いになる(=関係を断つ)のか。
まぁでもそういうやつは大抵小汚い爺かドキュンだから事前フィルターにかけられる。
複垢に対しては俺はしゃーないと思ってる。もうあるもんだから(それは喫煙者に対しても言えることだが)。他人を変えることはできない。
ただ複垢やってる人とは友達になりたくない。規約違反の恥ずかしい行為を堂々とやっている人はなんか嫌(堂々と歩きタバコしている姿に重なる)だから。己を恥じてコソコソ1台ずつポッケ出し入れしながらやる人はまだいい。
まぁでも別に複垢は個人的には別に~という感じだが。ただアカウント分余計に育てる手間もあるのでご苦労さまと。
まぁでもそういう嫌われる行為をする人がいて嫌な目にあった人がいて、それがネットに吐き出されて拡散されることで複垢=蹴り出し、不公正なプレイ(2垢でジムやると2倍早く落とせるとか)だ、クズ野郎!みたいな一般化が始まるんだろう。
俺はどちらかというと周りの目がどうとかいうんじゃなくて、俺が嫌いなやつと同類になるのが嫌でやらないとかいう傾向は多少なりともあると思う(同類と思われるのが嫌なんじゃなくて同類になるのが嫌)。
でもさぁ、誰しもいいとこと悪いとこがあるはずなんだよな。いいとこに目を向ければその人に対して好感を持つけど、悪い面ばかりクローズアップしていると嫌いになる。俺の人間関係は家族くらいしかいないけど過去を振り返ってみると意外にも今はフラットに見れている気がする。いい面も見れてるから育ててくれたことに感謝できるし。というかむしろ良いの比率のほうが高い気がする。ただそれは距離を置いてから(別居してから)の話(過去は美化されるってやつか)。同居暮らしの時はやっぱ悪い面ばかりが目について感謝なんてろくにしてなかった。日常の当たり前のことに感謝できないのかなぁその時その時は。後から振り返ることでしかその当たり前に感謝できないのか。失ってから初めてその価値に気づくってのに通じるもんがある気がする。