・散歩
アキバまで。
ひろゆきの最近の配信2本を見たけどあまり内容を覚えてない。
それにしても面白い出来事って意外と転がっていないもんだ。今日もまたアキバに言ったわけだけど面白アクシデントとか特にない。そういうのがあれば無味乾燥なこのブログの肥やしにもなるのに。
あ、アクシデントじゃないけど例の山花なんとか風の絵を描く人の顔を今日見た。白髪交じりの眼鏡のおっさんだった。俺が見かけたのはヨドバシだったけど、ビックカメラのペンタブ売り場の近くを通りがかった時若者どもが(うまいから)消さんとこみたいなことを言っていたのでそこでも描いたんだろう。絵は見てないが。
あ、ビックと言えばスト5やってた小学校低学年くらいの子供がいた。クチの悪い言葉遣いでトレモの常連相手のケン相手に「こいつ動かねぇな」「不死身かこいつ?」みたいなことをブツブツいいながら単調な攻撃を只管繰り返していた。使用キャラはダルシム。子どもたちに何故か人気。
大人の俺からしたら実に学びのない一切無意味な行為に映るけど、子供側からしたらレバーやボタン押してキャラが動いたりなんか技が出るだけで楽しいのかもしれない。子供は経験がないからとりとめもない新しいことに対しても楽しがるんだと勝手に解釈。
あ、そう言えばひろゆきの質疑応答コーナーの返答で人間は年食う度に価値観が凝り固まり考え方を変えることはなくなるよみたいなことを言っていた。自分の考えを経験に裏打ちされた信頼できるものだと信じて疑わないというようなことを言っていた。あと新しいものや概念に触れることに対して否定的な言い訳をするというようなことも言っていた。
前者に対してはまぁわかる気がする。実際今の俺からしてもデートやファミリーこさえる人間の価値観とは縁遠いと思っていてそういう立場から離れるスタンスを取っている。そして俺はそういう価値観に自分を変える日は来ないし、来させまいと頑なに一生ボッチを貫いてやるとこのブログで公言している。
こういう価値観は「諦め」に由来して、その諦めは自らの経験によるものにほかならない(自分が変わること、変えることをきっと諦めている)。今まで長年生きていたけど結局変わらなかったという事実。だからそれが月日を重ねて同じ価値観の状態が長引けば長引くほど自ら打ち立てた価値観の信憑性が増しその価値観はより強固なものになっていく
そして、変わることに対して「変わるまい」という意地めいたものが生まれる。それは価値観を変えることに対する拒絶つまり別の価値観の否定ということにつながってくる。
そう考えるとやっぱ年取ると価値観変えるなんて無理なんかなという納得がいく。でも若い頃は「きっと自分は変わる、変えられる可能性がある」とか思っていただろう。期待があったが若い時に変わらなかったため、同じ状態が続き期待は諦めへと変わり今に至る。それが俺の今なんかもしれない。
あ、なんかブログ書いてるうちにつらつら書いてしまった。書くことなかったのに。
・練習
スト5。バルログ。
・FF7
やらず
以上
1年前