年取って涙もろくなるということ聞くけど無職人間関係皆無男も例にもれず。
俺さぁ中2の時の爺さん(離れて暮らしていた)のお葬式のときに笑いこらえてたんだよね。木魚のポンポン音がツボにはまっちゃって。
でも一方では親戚のおばさんが泣いてるわけよ。
共感するだけの経験がなかったんだろう。
でも30半ばになってきて一緒に暮らしていた存在の死のひとつやふたつ経験した。だから今度は他人の葬式で共感できるかもしれない。
同世代と比べたら人間関係に関する経験は皆無に等しいが。
俺は現在人間関係から逃げ出してるわけだけど、それは人間から迫害されたきただからだと思う。勿論自分に原因があるのはわかっている。
俺は何かにとりつかれたかのように思い込む性質があるようでそれが原因でこんな人生を選択してしまった。
だから人間から迫害されたという先ほどの主張も大部分は思い込みによるものだろうと思う。
少しの迫害されたと思った経験を拡大解釈して人間が怖くなった。
でもこの人間が怖くなったというのも大部分は思い込みによるものだろう。
というか至極当たり前のことなんだが街歩いてると他人の自分へのあまりの無関心度合いに怖くなることがある。
こんなこと言うと構ってちゃんみたいだが、俺は社会において存在がないから街のありとあらゆる共有スペースにいるときに俺には居場所がないというネガティブな感情がこみ上げてきて虚無感を感じることがある。
ことがあるというか慢性的にそんな気がする。それを払拭するために別のことを無理やり考える。頭にそういう別にことで埋めないと悲しみしかないから。孤独で涙がでそうになることもある。
でもなんでなんだろうなぁ。仲間はずれという言葉があるけど、俺には仲間がいないからこうなんだろうか。仲間がいればその点においての安心を得られるのかもしれない。だから人は人を求めるのだろうか?俺はそれを面倒との天秤にかけて孤独を選んでいるが。