リアルの繋がりがまったくないとこういうことになるんですよ。世間の皆さん。
LINEが無料通話アプリであることは知っている。
また、文意からメールアドレス的なものであることはわかる。
しかし、イメージができないのだ。実際に体験したことではないから交換手順や、実際の通話の仕方などが全くわからない。そもそも必要なものでないから、登録方法や使い方をググることもない。必要に迫られていないからだ。雑学として知る分なら、ウィキペディアを流し読みするだけで足りる。
というか今まで生きてきた30年余。誰かとメールアドレス、電話番号交換もしたことがない。また、携帯電話を契約したこともない。
だからつながりというものがない。完全なる個体として生きてきた。家族のことも生活支援係としか思っていなかった。
じゃあ、あんた生きてて楽しいの?と世間のヒトは思うかもしれない。
その答えは、楽しくないだ。
楽しくないけど、生きてはいける。
楽しくするための工夫はしている。いや、してはいない。体の防衛本能とも言うべきか明るい話題を勝手に探そうと脳みそが判断する。工夫しようとか能動的に何かアクションを起こすということが面倒なのだ。行動力の著しい欠如。だからバイトの電話もしないし、友達を作ろうともしない。井の中の蛙大海を知らずということわざがあるが、アレはまさに俺のためにあるような言葉だ。
引きこもり時代の一日の過ごし方は大体以下のようなものだった。
面白い動画を見たり、映画見たり、漫画見たりゲームしたり、全部やるとあっという間に一日が終わる。
まぁ、どこにでもいる引きこもりの典型みたいな生活パターンだ。
それでお決まりの昼夜逆転。
そんな生活を送っていて楽しいかと聞かれれば、そもそも家にずっと引きこもっていて楽しいわけがない。
生きている限り、どうしても新しい刺激というものが欲しくなる。これは人間である限り決して逃れることができない本能なのだろう。
新しい刺激。それは新しいジャンル、作品のマンガだったりゲームだったり、お気に入りの小説家の新作だったりするのだが、潜在的にはそんな各論的な変化でなく、総論的な変化を欲しているのだろう。
だからジャンルの違うメディアを見ていても、どこか満たされない感じがつきまとう。
そして、たまに我に返ると死にたくなることもそりゃあある。
こんな生活に意味があるのかとか考え出すとそれはもう凹むだけだ。無意味。
そうなると、思考がマイナス方向に傾き、ネガティブな事を頭のなかでかき混ぜて、自分の首を締めるだけだ。
今後、LINEの登録方法、使い方について調べる日がくることはないと思う。
なぜなら、このまま孤独なままで人生が当分は進んでいくだろうことは自分が一番よく分かる。