俺は犬が好きだ。
人間が嫌いな分反比例して犬が大好きだ。
それはもう人よりも上に置いているくらいだ。
よく犬の死は人の死より下だみたいな事を普通の人間は言う。
だが、俺は真っ向から反論する。
犬への愛情は親へのそれをも凌駕する。
それが俺の持論である。
もうここまで来ると現代の徳川綱吉(犬公方)である。
なぜここまで入れ込んでいるかというと実際に飼っていたからだ。
もう死んじゃったけど。そりゃあ死んだ時悲しかった。婆さんが死んだときより泣いた。それくらい愛おしい存在だったのだ。
まず犬。
犬は俺に尽くしてくれた。無償の愛で向かってきてくれた。
最も愛した存在である。
次に親。
親には感謝しているが、それは飯をあたえてくれて寝る場所を提供してくれたり、学費を出してくれたりしてくれた点に置いてである。
親からの愛情はまるで感じていない。
両親がそういう人間だったから仕方ないが、俺がひねくれた最大の原因でもある。子育てに失敗したのだ彼らは。俺は子育て失敗の被害者だとは思わない。そういう環境のやつでも友達や恋人が矯正してくれるということは十分ある。
だが、俺はそれらを作ることを怠ってしまった。
それには小学生の頃に親友に裏切られたトラウマがあるからということもあること、コンプレックスを持っていることなどの複合的な要因が関係しているが、結局のところ俺はありとあらゆる人間関係を放棄したのだ。それが、今の孤立へとつながっている。
あとは、赤の他人。(友達ゼロだから友達について書くことはなし)
そして何の関係もない他人はゴミ同然に思っている。彼らも俺をゴミを見るような目で見てくるから、それも仕方がないことだ。目には目を。歯には歯をだ。