クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

トイレの住人|学園祭の時トイレの中でずっと過ごした学生時代

 

俺は男子校出身だ。中学・高校とホモ歓喜の男子だらけの中で育った。結果的に俺の性格からすると男子校に入ったことは正解だったかもしれない。

 

ホモだからではなく、余計なものを見なくて済むからだ。例えば、カップル。もしもそんなもんが目の前の席でいちゃいちゃしていたら、なんと実に目に毒だろう。それこそ心臓に蟻の大群が集まってくるレベルの不快感を感じるだろう。でも思春期待ったしの多感な時期なので、まだ諦めきれないお年頃。そういうのを見るたびにゲンナリローディングを繰り返し、ドロ沼の底に沈んでいく。そんな青春時代になっていただろう。そう考えると男子校に入学したのは結果オーライだった。

 

 

そんな男子校。学園祭といえば、他校から女子高生がくる。というか体育祭の港の近くのでかいグランドにわざわざ来ていた女子高生がいた。誰かの彼女か知らんがこういう女が一番うざい。てかむず痒い。男がそりゃもう1000人くらいいる体育祭に、女子高生がちらほらいたら絶対にそっちに注意が行く。それを見越して見られたい願望・欲求を満たす計算高いクソビッチ女がすげぇ腹立たしい。その頃からひねくれていたのだろう。

 

 

学園祭の話に戻そう。普通のリア充グループは、他校の女子高生とふれあい、楽屋裏では、あの子がかわいいとか。それ以外はブスだとか。好き放題言っている。合コンで女がトイレであれこれ喋るあれである。そう考えると男も女も大差ないのかもしれんな。

可愛い子は好きだし、ブスはお呼びでない。その証拠に、学園祭楽屋裏の男子は、ブスを追い出す方針を固めていた。

 

 

多少の接触があった井上くんができたてホヤホヤの彼女と電車で帰宅していたのを目撃したときはその場に立ち尽くした。しかし、世の中可愛い子ばかりでない。圧倒的量の不細工の残骸の山の上に可愛い子は立っているのだ。可愛い子には男子が殺到し、しかし可愛い子ばかりにかまけているとそれはそれでがめついと捉えられるので、ブスも適当にあしらって処理しなければいけない。

 

 

まさにときメモ理論である。可愛い子だけに注力していると、へんな噂が立って爆弾が爆発して嫌われるという寸法だ。もし可愛い子だけにプッシュしまくってると、女子トイレの密談で槍玉に挙げられブスのちくりにより、プッシュした分だけ凹まされる。出る杭は打たれるというわけだ。でもそのうつ強さが尋常じゃないため、奥深くに埋まってしまう。

 

 

こういうのが普通の人の人生なのだろうか。俺は学園祭の日にトイレに延々と引きこもっていた。それも4年くらい。中高一貫校だったので、6年在籍することになるが、そのうちの中1から高1までずっと学園祭はトイレで読書をしていた。

 

 

小説を読んでいた。しかし不思議なものでそれこそ6時間以上トイレの住人と化していたわけだが、誰も不思議に思わない。トイレの個室のひとつが延々と開くことがないことに。今の御時世からすると度々清掃員が見回りに来て掃除やら不審者チェックやらしそうなものだ。なんせ15年くらい前の話だから今と違うのは当然か。

 

 

そんな俺も高2の時に、疑問を感じだした。なぜトイレに引きこもってなきゃならんのだ。俺は、電車で自宅に帰ってクラッシュ・バンディクーレーシングをやっていた。そして、終わり際に戻るという寸法だ。しかし、クラスメートにバレるが、そいつも同じことをしていたのでチクられるということはなかった。

 

 

そんな俺、高2の学園祭で、ふとした気まぐれで、率先して学園祭の片付けをしてみる。小雨の中。せめてもの償いというべきかなんかその片付け作業はやっていてとても心が充実した。作業が一段落してみんなで教室に集まる。そこで先生がみんな頑張ったからという理由で自腹で図書券500円分を40人の生徒に配った。返すのも変なのでもらっておいた。しかし、ここでさっき片付けしといて良かったと思った。大義名分ができたからだ。良心の呵責をそらせたので片付け作業はしてよかった。ちなみに、周りのクラスメートに髪を女目当てで髪の毛セットしてると勘違いされた。(雨降って濡れただけ)

 

自分を客観視してみると、やっぱ他人と考え方とかがかなり違っているし、行動もおかしいし。純粋に変人なんだな俺って。