クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

読者を意識し出すと愚痴がセーブされるのではないかという葛藤

昨日偶然ブログ継続1ヶ月目にして初めてコメントをいただいた。

意外なことに肯定的なコメントで内容は俺のアウトプット能力を褒めるものだった。

本音なのか?と疑いだしたらきりがないので、素直に褒め言葉と受け取った。

他人から褒められたことなんてもう10年以上なかったため、それはうれしかったが、一方で葛藤を感じることとなった。

 

それは読者を意識すると愚痴がセーブされるのではないかという葛藤。

 

俺はもともと、孤独生活で溜まった膿を吐き出すためにブログを書き出した。もう1年家族を含めた誰とも交流がないから、いつ潰れてもおかしくなかった。加藤純一や横山緑の放送で笑うこともあるが、それが終わればまた孤独が押し寄せてくる。俺はずっと孤独だったので孤独耐性は強いつもりだったが、こう波のない毎日だと自分は何のために生きているのかという疑問が浮かんでくる。これは哲学者または不幸なヤツもしくは思春期の思考回路。幸せなら生きている意味など考えないからだ。その日々溜まったクソみたいな感情をブログに添加物を加えず希のままに吐き出したら不思議と胸がスッキリした。こんなことで溜飲を下げられるものなのかと少し驚いた。それからこのブログはストレスのはけ口と化した。それから愚痴記事をひたすら量産している。

 

しかしながら、俺のブログを継続して見ているような奇特な人間も1人はいるようで、それが事実だとしたら戸惑いを隠せない。間違っても人に自慢できる人生ではないし、他人との交流がないから面白いエピソードも全然ない。それ以前に、恥ずかしすぎる。そりゃ普段ポーカーフェイスの下に隠してるどす黒い内心を吐露しているわけだからそりゃそうだ。顔にモザイクかけて家の中をフリチンで過ごしているとこを公開しているようなもん。(この表現なんかずれてる気がするが気にしない)そして、こうブログを書き出してみて、自分の中身の無さを改めて思い知らされる。ネタがないのだ。自分一人でカバーできるネタなんてたかが知れてるし、愚痴禁止ルールだったら速攻でネタ切れだ

 

しかし今まで通り書いていく。別のことに興味を持つなどして飽きるまでは書く。

想定読者は自分に近い人間。孤独が過ぎる引きこもりや働きたくないダメ人間、30過ぎてもバイト歴含め職歴なし、彼女いない歴=年齢、素人童貞じゃない完全童貞、現在友達なし、彼女なし、携帯電話番号なし、家族と離れてくらしている、以上を兼ね備えた人間。そんな人間俺くらいしかいなさそうだが。

 

 

こんなクソみたいな愚痴ブログの読者の方へ

自分より下の人間がこの日本にはいるんだと安心してください。

自分より劣った人間を見ると安心しませんか?

自分がちったぁ恵まれていることを実感しませんか?

そんな目で見てくだされば幸いです。