クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

究極の集中力「ゾーン」に入る幸せ

 めちゃくちゃ集中した時、あっという間に時間が経っているとう感覚をたまに得る。

 

ゲームのボスが倒せなくて、何回もチャンレンジしてようやく倒すことができた。ふと時計を見たら5時間経っていた。

どうしても解けない数学の問題を、考えて考えて考えまくって、やっとこさ自力で解いた。あたりを見回すともう日が沈んでいた。

 

こんな経験をしたことが誰しも一度くらいはあるだろう。

 

こういう時俺は猛烈に「生きている」と感じる。

脳みそがフル稼働して時間を超越している時は、別世界に侵入したかのような錯覚を覚える。運動ではランナーズハイというが、何かにハマっている時にハイになるあの感覚は実に気持ちがいい。精神と時の部屋の逆バージョン。時間が圧縮される摩訶不思議現象を体験しているのだ。

 

俺の場合は、その体験をしたのは絵を描いている時だった。

今から10年以上前に芸能人と顔をひたすら写真を見ながら、なるべくそっくりに描くという模写にはまっていた時期があった。

俺の描き方としては、まず、顔の輪郭から書き始めて次にその中に顔の中身を構成する目や鼻などのパーツを書いていく。

 

しかしこれが中々難しい。ちゃんと見たとおりに書いているはずなのに全然似てない。こんなことがしょっちゅうで、ちょっとでもバランスがずれると別人になってしまう。これが模写の難しいところ。

 

似せるためにはミリ単位の調整が必要で、その調整のためには、紙に描くという行為の性質上、福笑いのように必要に応じてパソコン作業のようにカットペーストはできないので、パーツの一つを消しゴムで消していって、また調節後の位置でパーツを書き直すという修正作業を反復して行うことを要する。

 

そして、試行錯誤の中気づけば平気で2,3時間消費してぐったりの疲労感の末、納得いかない絵が出来上がる。

 

ところが、内に秘めた集中力が最大化する真の「ゾーン」に入った状態になった時は、それこそ15分かそこらの所要時間で完璧なバランスのまるでそこに存在しているかのような絵を描くことができる。

 

しかも、書き終えた後の疲労感が全く無くむしろ疲れが取れるくらい。

そんなゾーンに入ることは精々50回に1回くらいの割合だったが、しびれるような感覚を味わうことができた。

 

それが俺が20歳位の時、3ヶ月間くらいハマっていたことだった。

それから10年以上立つ今現在の俺はブログで愚痴を吐き出している。

しかし、未だにブログ書きで真ゾーンに入ることは一度もない。ただ、気づいたら思った以上に時間が経っていたということがあるので、疲労感はあれど一応集中はできてはいるのだろう。

 

以前やっていた転売作業はただ工場の機械作業のように決められたタスクを決められた手順で処理していくだけだから複雑に頭を使うことがない。その点、ブログは頭を使う。

 

次々と文章を頭からひねり出さなければいけないし、文意が自然になるように、構成を組み立てたり、接続詞を配置する必要がある。ただ、俺の場合、内容が脱線しまくりなので自然に流れすぎて、当初予定していた話題がスカスカで、関係ない話で後半が埋め尽くされるということを日々繰り返している。

 

いずれにせよ無から有を生み出すのは疲れる。

しかし、心地よい疲労だ。今のとこだけど。