今の腑抜けの俺を作り出したのは、
やっぱり親に原因があったのかもしれない。
最近超凡思考という本を読んだ。
冒頭で開成高校→東大法学部→司法試験合格
した人の独白が書いてあった。
その人は飽きっぽい性格でコツコツ努力するのが苦手な人間と自分のことを言っていた。
よくできますが、集中力に欠けると通信簿に書かれていたそうだ。
(地頭がいいんじゃねーかというのは置いておいて)
しかし、達成感に人一倍敏感で、この気持が小さい頃から強くあったという。
そして両親は通信簿に書かれたいわばこの人の弱点である集中力に欠けるという短所を叱るよりも、ほめることを優先してくれたという。
ほんの小さいことでも目一杯褒めてくれて、褒められると嬉しくなり、もっと頑張ろうという気持ちになった。
そう回想している。
つまり、両親の教育方針がかなり当人に影響を与えているのだ。
思い返せば、俺は両親に勉強で褒められた記憶がない。
唯一褒められた記憶があるのは、「絵」だ。
絵に関しては3つエピソードを思い出せる。
1.花瓶の写生
小学生の頃に、父親と一緒に、家にあった花瓶を写生したことがある。
しかもお世辞じゃなく本心から出たものだということは感受性豊かな子供だったから、わかった。しかし俺は父親のほうがうまい、もっとうまく書きたいと思った。
2.マンガの落書き
もう一つは、小学生の時、落書きレベルのマンガを描いたときだった。
母親が偶然それを見たら、躍動感があると褒めてくれた。
俺は幼少の頃からドラゴンボールやらスラムダンクの模写をしていたので自然と基本が身についていたのかもしれない。
3.不気味な絵
3つ目は、中学か高校くらいに落書き帳に適当に思いついた悪魔やら僧侶やらの顔を描いたときだった。
僧侶の絵は、FF6に出てくる雑魚敵の「コジャ」のような薄笑いを浮かべた表情の僧侶のアップだったが、それを見た母親が心底ゾッとしたと感想を述べた。他のいかにもな悪魔の絵とかには目もくれずその絵によほど強いインパクトを感じたのか、その絵をまじまじと見ては苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
しかし、両親は俺の才能を伸ばすようなこと=美大に行くこと
を勧めはしなかった。
俺は当時ゲームに嵌っていて将来のことは全く考えてなかった。
絵というかセリフのない落書きレベルのマンガ(描きたいポーズとかを書くだけ)はついつい授業中にノートに描いてしまうくらい、絵を描く行為は体に染み付いたものだったが、美大なんて考えてなかった。
文系学部を受験したのも両親がつぶしがきくからと言っていたから。
親がもっと、プッシュしてくれたら、俺は美大に向かって自分のすべてを注力することが出来ただろうか。
今は遠ざかっていたが、小さい頃から絵を描くことは空気を吸うようなものだった。
小学生の時にグラディウスに出てくるような敵を1面→イラスト、2面→イラストというように、1000面分くらいのボスの落書きを書いたこともある。
絵に興味がない人が同じことをしてもただの苦行にしか感じないだろうが、俺にとっては何の苦でもなかった。
結局、普通の文系学部に一浪の末入学。
一留か二留で卒業。
しかし、普通の文系学部を出ても結局のところ、職歴なし無職で詰んでいる。
もしあの時、美大を志してたら、どうなっていただろう。
そんなことをふと考えた。