ところで福田吉兆を知っているか君は?
会席料理屋じゃない。
スラムダンクというおそらく誰もが知っているであろう有名バスケットマンガに出てくる敵の高校である陵南の選手。
監督の誤った育成方針で叱りに叱られまくって、ついに堪忍袋の緒が切れて監督にアチョーっとかほわちゃーなどと手刀で突きを額に食らわして暴行罪で停学を食らった過去を持つオフェンスの鬼である。
叱られまくったがゆえに、彼は褒められることに飢えていた。
人一倍褒められることに敏感になっていった。
もう喉から手が出るほど「褒め」が欲しい。
褒められれば褒められるほどプルプル震える。
エクスタシーを感じるのだ。
もっと褒めてくれ・・・
俺の場合、
自分の中の外殻をすべて取っ払うとこれが出て来る。
別に褒められなくたっていいや。ただ、おのがペースでやりたいことをやるだけだ。
出来上がった小説でもマンガでも世間に公表しなければ褒められることもないけど、傷つけられることもない。まさに自己満オナニーである。
「褒められなくてもいい」そんなことを考えるということは実は真逆で褒められたいことの裏返しで、褒められることを渇望している。希望でも待望でも熱望でもなく渇望。心の渇きである。
(これはデールカーネギーの道は開けるで遭遇したフレーズ)
ところで俺は褒められると猛烈に照れくさい。
褒めないでくれ・・・・
と思ってしまうくらいの照れ屋である。
もう照れを販売できるくらいの照れ屋である。
こないだ老人に褒められた時も照れ隠しで逃亡したばかり。
しかし、褒めないでくれとは思うものの、嬉しいことには変わりない。
認められたに等しいからだ。
人間である以上承認欲求は人並みにあると自覚している。
そういえば解脱すると承認欲求も封印されるのであろうか。
最近褒められたときの心情を考察してみると、俺は完成前の一部の状態を見られて褒められた。まだ完成はしていないし、練習も足りない。
自分の理想とする境地にまで到達していないから見せるのはおこがましいと思ってしまい、なんだかいたたまれなくなって逃げちゃったようだ。
一方、福ちゃんは当時からして突出した高度のオフェンス技術を身に着けている。(ディフェンスはカスだが)
それが拠り所となって、純粋に「もっと褒めてちょ」と思えたのかもしれない。
まぁ、俺と福ちゃんの思考回路は違うし、深入りしすぎか。
色々御託を並べたが、結局のところ
褒めてほしい・・・
のだ。
だから福ちゃんといっしょ。