毎日カメを見て思うこと
水槽の中のカメ
自由ない
餌に不自由しない
これは生活保護的だと思った。
野生のカメ
自由ある
餌に不自由
これはホームレス的だと思った。
俺が親の庇護の元実家ぐらしのニートなら、ニートと親元離れてバイトして暮らしてる人との対比になるだろうが、
俺は若者よりもホームレスとの距離が近くなっちゃってるため、自然とこのような思考になった。
俺はどちらがいいのだろうか?
正直毎日図書館で本を読んで散歩して飯食って寝て。
これの繰り返し。
正直、監視つきの監獄・生活保護でいいかもしれないなと思ってきた。
別に見られて不都合なことなどない。
ピンサロやオッパブ、風俗、ヘルスなどはエロサイトで補完できるし、人間関係もないので、黒い交際など一切ない。白い交際も。
特にやましいことはない。
カメと俺と違うこと。
カメには選ぶ権利がない。
水槽の中から自分の意志で出ることはできない。
水槽の中での暮らしを強制されている。
俺には毎日狭い空間でうごめいているカメを見ていると外に出たくてしょうがない印象を持った。自由に海で泳ぎたい。彼らはそんな目をしている。擬人化。
一方、俺はどうか。
その前に俺と同じ人間族の家庭を持つサラリーマン。
なんか、サラリーマンって自分の家庭を守るために労働を強制されている。
家族を養っていくために働かない自由(選択肢)を奪われている。
自業自得。自分で選んだ道。広い不自由の中の狭い自由。
金。収入があるから成立している。
ある意味血液だ。血液に乗って栄養は運ばれ全身に行き渡る。
収入が途絶えれば、栄養が行き渡らなくなる。
そうすると最終的に壊死する。家庭崩壊。
まず金がない。
だから自由なのに不自由を強いられている。
結局金だ。
金といっても一時的なあぶく銭じゃない、安定して定期的に供給される金だ。
収入だったり年金だったりする。
そのためには働かざるおえない。年金はもらえないから。
あれ、不自由だ。自由なんかじゃないやん。
結局、俺もサラリーマンと同じで広い自由の中の狭い自由の中に組み込まれている。
人間も社会という檻の中で生きることを強制されているのか。
俺とサラリーマン(普通の人)の主な違いは、収入と人間関係の有無。
両方とも俺のほうがはるかに劣っている。
おっと、こういう思考はやめだ。人は人、自分は自分だ。
結局、人間もカメも変わらないような気がしてきた。