クソマミレンの愚痴

30超え職歴なし長期引きこもり明けのダメ人間がクソ記事を量産

人間バッテリー

 

なんかバッテリーをまじまじと見ていると人間に思えてきた。

毎日充電活動をして、スマホタブレットにいそいそ電気を運ぶ。
しかし寿命は来るもので、段々働きが弱くなり、ちょっとしか充電できなくなり、やがて寿命で死ぬ。

 

我々人間も同じじゃないか。

毎日働いて、加齢とともに段々体にガタが来て、腰が痛くなり、歩くことも辛くなり、ガンかなんかの病気にかかって、やがて死ぬ。
寿命で死ぬことは幸せで、途中でなんらかのトラブルに見舞われて闘病生活を送ったり、激痛に耐えながらの抗癌剤治療を受けることになる。そして甲斐なく、志半ばで死んでいく人々は枚挙にいとまがない。


そういう意味でバッテリーくんは天寿を全うして死ぬわけだからある意味幸せだろう。
でも大抵はその前になくされて行方不明になったり、落として壊れたり、充電不良の病気にかかって捨てられるものもいる。
中には爆発して非業の死を遂げるものもいる。

 

バッテリーはまた買えばいい。代用品なのだ。
人間もいっしょで、使い物にならなくなれば捨てられ、引き継ぎを余儀なくされる。
これが会社のリストラだ。


だから、捨てられない人間関係を会社とは別に築く必要があるのかもしれない。
代用品じゃないと認めてくれる仲間がいれば、バッテリーのように用が済んだらポイとはならない。

 

だがそのためには勇気と多少の努力が必要だ。

俺は両方とも持っていない。だからバッテリーなのだ。